Ne pouvant fortifier la justice, on a justifie la force. ──Pansee/Blaise Pascal  生き残れ。それが唯一の交戦規定だった。  同地を国土の一部とするベルカ公国での呼称は「エリアB7R」。この戦争における、高価値防衛空域としてベルカ軍は「ベルカ絶対防衛戦略空域」と呼ぶ。だが、戦闘機乗りたちの呼び名は異なる。  曰く『円卓』。  その場所を手にするため、各国のエースが飛び交う場所。戦闘機乗りに与えられた、最大の舞台。  上座も下座もない。所属も階級も関係ない。条件は皆同じ。そのテーブルは電波障害さえ発生する荒野である。ベイルアウトした後も、助けが来る保証はどこにもない。それ故に「生き残れ」などという、馬鹿馬鹿しい交戦規定が存在する。 「生き残れ? そんなの、いつものことさ」 ノーツは、そう言って声を立てずに笑った。  FATOから教導傭兵として派遣されたこのウスティオで、自らもウォレット隊リーダーとして参戦している古株。過酷な作戦に投入され、失った僚機は最も多い。彼自身の後継と目されていた、不動の2番機パイロットであったシリィさえもエクスキャリバーにより撃墜され、一命は取り留めたものの、パイロットとしての復帰は望めない。 「どうやって、生き残って来たんだ?」 「人が言うには、悪魔が憑いてるらしいがね」 唇の端だけを歪めた顔は、破壊の悪魔というよりも、道化師のような複雑な表情。オーシア報道ネットワーク、OBNの派遣記者としてこの場──ヴァレー空軍基地にいる、ウォーレン・ハミルトンは沈黙で次の言葉を待つ。 「悪魔と取引をしたのさ。翼を無くした、悪魔とな」 「それが、貴方が独立経営の傭兵団を続けられる理由?」 薄いカーブを描いていた唇が横一文字になり、人差し指が当たる。 「ナイショだけど、独立経営じゃないんだよねぇ、実際は」 記者は戦闘機乗りに合わせて、声のトーンを下げた。周囲には他に誰もいないが、そうすることが礼儀だと思えた。 「FATOの悪魔という二つ名は、大げさに思えない。『フルーゴ航空傭兵団』の実質的なトップであり、それを維持してきた」 「誰が好きこのんで悪魔なんて二つ名を自ら名乗るかね?」 再び浮かんだ笑いはしかし、伝え聞く悪魔の、特に交渉を好む種を思わせる。少なくとも、言われるがままに取引するタイプの人間ではない。差し出された代償だけでなく、それ以上の何かを手に入れようと画策するような。 「悪魔を生み出したのは、人の意識だ。ならば貴方は、誰と取引したんだろう、という疑問が湧くよ」 仕事上の質問ではなく、個人的な興味であると示すために、記者はペンを止めて訊く。机上にレコーダーがあるが、記者とは文字通り「記す」者である、というのが彼のスタイルだ。 「俺は、代理人に過ぎんよ。誰の、とは言えない。この世ならぬ存在だからな」 言って肩を竦める。本当に死んでいるのか、悪魔がそうした存在であることを喩えたのか。笑みの向こうを窺い知ることはできない。  海洋国家として成長してきたFATOは、帆船の時代から、広範な国々との交流を持つ。その外交力と海軍力の故に、今回のベルカ侵攻を食い止めた、とされている。  例えば戦争前、ベルカ公国が支配を手放したゲベートの後ろ盾となったのは、ノーツが籍を置くFATOだ。それは本国では手に入らない資源のためであり、その点でウスティオ共和国をバックアップするオーシア連邦と変わらない。 ──ならば、悪魔の後ろ盾は国家に繋がる存在か。  この世ならぬ存在。悪魔。空軍の中枢。もしくは、さらに深い所。  黙考の端で、ノーツが、ちらりと左手首の時計に目をやったのに気付く。 「話は終わりか?」 問われて慌てて付け加える。 「もう一つ。事実上、ベルカの防衛は崩壊したと言って良いと、私は思っている。傭兵として最初期から戦ってきた戦闘機乗りとしての感想というか、手応えを訊きたい」 戦士は、椅子の背もたれに再び体重をかけ、腕を組む。 「『円卓』の支配権に関わらず、既に連合軍のチェックメイトだ。盤上はな」 「盤外は終わらない、と?」 「網の広い情報屋は、どう見ているね?」 質問で返される。探るような目つきに、記者は一瞬、躊躇する。 「被侵略域の開放と、ベルカ軍の防衛中枢を──エクスキャリバーを叩けるようになった時点で終わるのが、両軍にとって妥当と思っていた。だが、5月半ば、ウスティオ解放から、雲行きが変わった」 傭兵は、頷き、含意のある──何かを掴んでいるがタダでは見せない、という笑みを浮かべる。それを確認して、ウォーレンは言葉を繋いだ。 「つまり、核査察として逆侵攻が始まった」 歴戦の猛者は、指を鳴らしすぐさま肯定する。 「そうだ。これまでの展開と食い違う。それを推し進めたのは?」指を鳴らした形のまま、記者の目の前に持ってきた右手を、パッと広げた。「俺が言えるのは、ここまでだ」 身を乗り出そうとしていたウォーレンは、見事に肩すかしされた形になる。 「まだ聞きたいことが──」 「あとはアンタのやり方で進めな」 ノーツは椅子から立つ。記者は苦笑いしながら、磁気テープ式の録音機を止めた。 「やっぱテープだよな」 普段の飄々とした顔に戻ったノーツが指さす。 「シリコンメディアはまだ慣れないね。カメラはスポンサー様の絡みでデジタル化したけれど、まだフィルムの方が好きだ」 「ビニール盤は好きか?」 「実家に眠ってるよ。聞く時間がすっかり無くなってしまった」 残念そうに眉をひそめた傭兵は、「いずれ価値が出るかも知れんから、大事にとっとけ」と告げて部屋を出て行った。ウォーレンは、使い込んだというほどでもない録音機を改めて眺め、部屋の照明を消してから退出する。  レーザー兵器「エクスキャリバー」の破壊から3日が過ぎていた。ベルカ軍の攻撃どころか、越境してくる偵察機もない。月次更新される契約の更新日まで、あと5日ほどが残っている。傭兵たちは、少し弛緩がちだ。 「今更来ても、あんまり稼げないぜ?」 新顔の傭兵に、パース隊のバイパーが笑って言う。 「目的が違います」と返したのは、黒髪に濃い茶色の目をした、小柄な青年だった。「オーシアより、こちらの方が──ええと、おもろしそうな──」 「違う。面白そうな」 言い間違いを訂正するのは、やはり黒髪の女性パイロット。この二人で、「オメガ隊」を組んでいる。元はオーシアの傭兵隊に所属していたが、数日前に移籍してきていた。出身はノースポイントだという。 「面白そうな」──律儀に訂正して──「人が多いからです」 「へぇ? 例えば誰よ?」 「まずはガルム隊。それから、今は休業中ですか、スコル隊。フトウロ運河の攻防戦で共闘したメンバーが中心ですけれど、その後の活躍を聞いてました」 「俺らは?」 「あなたたちパース隊の方々も、あの時に撃墜されても、今はまた飛んでいると。流石ですね」 「なかなか持ち上げるじゃないの。ええと、名前はなんだっけ?」 相好を崩して尋ねるバイパーに、小さく微笑みかけて青年は答える。 「ホムラと呼んで下さい。彼女はミツルギ」 名指しされて、女性は軽く会釈する。明確な表情はない。 「ノースポイント名は発音が難しいな。ホームラン? ミートゥー、何だって?」 「ホームランでは野球です。ホ・ム・ラ。意図的に言いまつがってませんか」 「言いにくいんだよ。なぁ、間違えたら作戦に支障出たりしないか?」 バイパーが周りにも訊いた。何人かが、彼らのTACネームを口にする。本人が口にしたのとは微妙に異なる音がほとんどだ。傭兵たちはホームランとミットなら野球コンビだとか、フォーミュラの方が良いだろうとか、適当な声をあげている。 「意味は?」 「ホムラが炎、ミツルギが剣」 「炎の剣、それは終末に振るわれる、ってか。だからオメガ隊?」 「ええと。オメガは傭兵になってからです。TACネームはその前から使ってましたけれど」 終末の炎の剣の伝承は、北ベルカ伝承である。バイパーは知らなかったが、異なる文化を持つノースポイントの伝承にも炎の剣が存在する。意味合いは違うが。 「そりゃそーだ。とりあえず合同訓練までに、そのネームでいいか、禿げ茶瓶に確認とっといた方がいいな」 「剥げ……ティーポット?」 「AWACSイーグルアイのイーグルアイ。アルフレイ准佐殿を、我々は敬意を込めてそう呼ぶんだ」 大きなクシャミが響く。驚いた傭兵たちが一斉にそちらを振り返ると、その禿げ茶瓶が眉間と鼻に皺を寄せていた。 「まぁ確かに私は禿頭ではあるが、その呼称はあまり気持ちの良いものではないな。バイパーとLB、ノーツが呼んでいる」 肩越しに人差し指で後ろを突き、傭兵たちの居住区を指してから、イーグルアイは長身を進めた。 「ホムラ、ミトゥルギの両名は、10分後に第3ブリーフィングルームへ。──あまり感化されないように」 「了解しました。……やはり、呼びにくいTACネームでは問題ですか」 女性──ミツルギが居住まいを正して応じ、尋ねた。 「ん、発音が違ったか。名前は大切なものだ、10分後までには直しておく」 「ありがとうございます」 安心したような笑みを浮かべて、彼女は深く頭を下げた。   ◇  ◇  ◇  影がないほど明るいその部屋は、そこに集まる情報の闇を包み隠していた。漆黒に塗られた馬蹄形のテーブルに座す者たちはいつものように、不穏な心中を包み隠している。 「結果は変わらなかった。従って、今後の進行も変わらない」 「当然ですな」 中央の男の確認を、軍人が支持した。 「対象の所在は?」 水を向けられた茶色の髪の情報部門担当者は、流れるように答える。 「スーデントールから移動する気配があります。ホフヌングは攻撃対象となりますから、さらに内陸へ向かうと推測されます」 「ホフヌングで止められるならベターだ。移動はいつごろ可能か」 「2、3週間ほどと推測」 「確度を上げろ」命じて、軍人に向き直る。「タイミングは任せる」 「はい、最善のタイミングで」 「一つご確認を。──名目は?」 秘書のような雰囲気を持つ男が尋ねる。 「核査察だ」 でしょうね、と肩を竦めて、秘書はメモを開く。 「実在しないかも知れませんが」 「73年には実験施設で放射線被曝による死亡事故があった。遅くても75年までに実験は成功している。我々は、その存在を確信している」 情報担当が宣言した。 「仰る通り。確認したまでです」 秘書はメモに一行を加え、ページをめくった。 「規格外に大きい、と言っていたジェネレータは?」 「内陸の鉱山地帯へ移動している。おそらく、同じ物が4ないし8本。複数の大型機──可能性は低いが、単体の超大型機もありうるという分析だ」 「処遇は」 問いかけには、グレーの髪の科学者が口を開く。 「あまり必要としない。大艦巨砲は海では一時代を築いたが、数の時代になるからな」 さらに軍人が引き継ぐ。 「動く前に戦争が終わる。よしんばその前に動いたとして、超大型爆撃機など、今や、動きの鈍い亀も同然だ」 「なるほど」 秘書がメモを閉じた。 「まずは『円卓』だ。そして核査察」中央の男が告げる。「全ては、計画通りに」   *  *  *  頭の痛い話だ、と、ウスティオ空軍を預かるアーレマン大佐は書類を睨んだ。ウスティオの軍事力は、基本的に専守防衛を旨とし、国外への派遣は、評議会の可決をもって実施される。とはいえ、同盟軍として動く以上、その要請はほとんど自動的に通っている──現場としてはしっかりと交渉すべき部分も含め。 「核査察。魔法の扉の合い言葉だな」 「我々のような隣接国家への核投下は自らの首を絞める行為ですが、オーシアは広いですからね」 うんざりとした響きを「オーシアは」に込めて、国家情報局のヴィルヘルム部長が言った。 「実在可能性は」 「少なくてもオーシアは確信しています。ICBMのような大げさなものは80年代以降、影も見せません。しかし戦術級の存在を否定するものではありません」 「その影の濃さは?」 「そこが判断の難しいところで。現物に繋がる物は私たちの及ぶ範囲では見つかっていませんが、先行する諸外国との交流──北方のアネア大陸を含めて──はありますし、『円卓』に固執する理由もそこだろうと考えています」  B7Rに埋蔵しているとされる資源は、希少な金属、それも多種多様なものだ。ウスティオの得意とする精密回路や化学合成向けの触媒物質は、オーシアの成長を支える重工業部門にとっても、公害抑制のために狙い目となる。首都オーレッドと五大湖を結べば、オーシア大陸西岸よりもアクセスが良い。  一方、核兵器の原料となる放射性物質も確認されている──主にベルカ工業都市、ホフヌング寄りのエリアを中心に。  開戦前、オーシアは領土割譲を繰り返しなお経済状況が悪化していたベルカに、五大湖周辺の資源共同開発を持ちかけた。しかし両国が共同出資した公社に採算割れの疑いが生じ、ベルカの反オーシア感情を高めたことが、ベルカ極右政党の台頭に繋がり、この戦争が始まる結果となった。 「資源は国家を狂わせるものだな」 「割譲で失った資源の分、『円卓』に固執せざるを得なくなったという訳ではない」フランコ少佐が言う。「割譲で失った地からは、核資源は今のところ、見つかっていない。象徴としての『円卓』か、それとも他に狙いがあるか」 「象徴はもちろんありますが、実質的にはホフヌングの裏手を固めたいのかな、と。こちらとしては、加工済み物質の行方が気になってますがね」 「どこへ向かった?」 「一つは鉄路でスーデントール。ご存じの通り、南ベルカ国営兵器産業廠があります。先ほど申し上げた、大げさでない兵器も、もちろん作れるでしょう。もう一つ、ほぼ同じタイミングで──こちらは核物質である確証はないのですが──小さいパッケージが陸送で西方へ向かいました。イエリング鉱山付近までは突き止めたものの、そこから先は不明です。エクスキャリバーによる衛星殲滅前の、同鉱山の画像データを手に入れたところ、なかなか興味深い──」 「手短に頼む」 フランコが呻くように言った。軽く肩を竦め、ヴィルヘルムは続ける。 「巨大なドーム状の設備、それから、露天掘りの底をさらに深井戸にしている箇所がいくつか。まるでICBMサイロのように見える」 「が、そっちの方が小さいパッケージなんだろう?」 あえて小さい、と言ったのだから、それは戦術級に対応するか、それ以下のレベルの筈だ。 「その通り。だから、その目的が分からず、困っておりましてね」 「ここで考えても埒は開くまい」アーレマンがさえぎった。「そこは置いて、だ。我々はどう行動すべきか、改めて考えたい」 ウスティオは国土を回復し、派兵の中心は空軍となる。 「継戦は、お互い消耗するだけだ、というのが私の考えだ」 これまで、私見をあまり口にせずにきたアーレマンの言葉に、バーナードは驚いた顔を向ける。 「ベルカに核兵器を作れるカードはそろっています。査察を受け入れなければ武力行使、というやり方は、国際的には有りでしょうし、反対の声を上げる大国は少ないでしょう。しかし私も、消耗を避ける意味で、派兵を減らすべきとは思います」 「しかし、いずれ再び、衝突は起こる」フランコもまた、己を出す。「10年の平穏を取るか、100年の平和を取るか。できるなら、長い方が良い」 好戦派ではないにせよ、戦争という状況は良く知る男である。アーレマンは一応、頷いて、一言だけ付け加える。 「当方に求められる犠牲次第だな」 「そういうことです。──第6師団は、そのための存在だと、少将もお考えでは?」 傭兵からなる第6師団。軍組織全体としては使い勝手が良い。 「君の立ち位置では、そう言うだろう。君がサピンにいたら?」 少し考える素振りをして、フランコは答える。 「ウスティオを壁にし、とっとと停戦して内政を整えるでしょうな。実際、近いうちにそうするでしょう。あの国は内乱続きで疲弊している。ベルカが動き、共通の敵になったからこそ、一時的に鎮静化したとはいえ、まだ安定には遠い」 口を歪める。多くの血が混じっているとは言え、幼少を過ごしたという意味では、一応の祖国。 「できるだけ長い期間、安定させることがサピンの安定にも繋がるか」 空軍司令官は、嘆息を一つ挟んだ。 「ヴィルヘルム部長は?」 「情報局の一部門を預かる身としてなら、ベルカを裸にしたいのが当然です。が、本来列席することなど滅多にない軍部の現場と、時々こうして顔を並べている訳ですからねぇ」 頬を掻きながら、フランコを見やる。 「身が保つなら、ですが──」フランコの頬がぴくりと跳ねる。確認するまでもなく、ヴィルヘルムは知っているのだ。「──今のうちにやれることはやってしまいたいですよ」 「傭兵はむしろ増えてきたからな」 あえて裏の意味を捉えず、フランコは言った。今が瀬戸際だ。自分の身が保つかどうか、考慮している余裕は無い。   ◆  ◆  ◆  影しかないから闇なのだ、と、その男を前にするたび、ベルカの中佐は思う。少しでも光があるなら、目をこらせば見えるかも知れない。しかし、そこに、一切の光は無いように思える。  深淵をのぞき込む者は、心せねば深淵に引きずり込まれるという。だから、待たない。彼らを待たせる。可能な限り接触は短く。ドフェル・シュレージェン中佐はそう願っていた。彼らのような部隊を指揮する立場にある自分の闇は、棚に上げている。  第13夜間戦闘航空団。それも今や、「特殊戦闘部隊」と呼ばれる彼ら第6戦闘飛行隊のみで構成されている。その任務は自身でも諒解している。だが、オーシアの西端のサンド島を越えたユークトバニアから来たその男は、異質であった。だがそれ故に、その任務に、あまりにも合致していた。  入室して彼らの前に立つ。 「集まっているな」  めいめいに座っていた隊員が、すぐに直立不動の姿勢になった。だが、その男だけは、のそり、と立ち上がる──薄笑いの気配。それを無視してシュレージェンは、 「諸君らも知っての通り、タウブルグの剣は破壊された。これにより明確に我が軍は劣勢となる。則ち諸君らの“任務”も重要度を増すと心せよ」 と、伝えた。伝えることだけが今の彼にとって任務の全てだった。 「了解した、中佐殿」 ラフな敬礼を返す男──ドミニク・ズボフ少佐。 「着席。次の任務について説明する。担当空域はB7N。B7Rの裏口だ」 「裏口からテーブルを抜く者を追う、ということですな?」 セルゲイ・カルコフ准佐──ユーク時代からのズボフの相棒が確認する。 「その通りだ。B7Rは絶対防衛空域だが、その特質により逃亡ルートになりやすいと判断された。今なお多くの意気軒昂な部隊が防衛任務に就いている。しかし彼らの任務はあくまでも敵勢力の排除である。従って、13夜戦が、勇気ある彼らを援護する」 その名が示す独特の地形と、埋蔵鉱物の影響とみられる電波障害。それらを利用して逃亡を計ろうとするベルカ兵を撃墜する、ということだ。 「つまり、『円卓』が戦場になる、と?」 他の戦線から敏腕を引き抜き、西部戦線を停戦させてまで維持されている『円卓』。多くの監視の目があるその場所を抜けるには、ただ飛べるだけでは足りない。その目が届かなくなる状況を利用するか、あるいは守る同胞を打ち抜く覚悟か。逃げる者にそんな覚悟はない、とベルカの指揮官たちは確信している。 「その通り」 戦争の発端であり、それを失うことが敗戦である。象徴、それが『円卓』の端的な意義だった。 「連合軍の大規模攻勢が近日中に行われる可能性が高い。明日0900より、13夜戦は期限を設けず即応待機となる」 「あれまァ」 ズボフが肩を竦める。残る13夜戦の部隊は、もはや自分たちのみだ。だが、自分たちの駆る特別仕様のMiG-31フォックスハウンドと、長距離空対空ミサイルR-37から逃げることはできない。戦場から去ろうとする者は、戦場を決して振り返らないからだ。 「通達は以上。解散」 複座機のMiG-31が8機で編成される彼ら。それを構成するのは、8人。めいめいが立ち上がり敬礼するのも待たず、シュレージェンは部屋を出て行く。  シュレージェン中佐が去ると、最前列のテーブルに着いていたズボフが振り返った。その顔に、先ほどとは別の笑みが浮かぶ。 「俺は待つのは嫌ェだが、やることァいつも通りだ」それは、鮫のように獰猛で、禿鷹のように酷薄な笑み。「去る者をこそ追え。生かして逃がすな」 「了解」 カルコフを除く6人が短く答えた。一様に表情はない。シュレージェンのような怯えも、ズボフのような凄惨も。 「明日までの自由だ、好きなことしてろ。解散解散」 6人がそれぞれに去ると、ズボフは居残った長年の相棒に、呟くように言う。 「そろそろ終わらんかねェ?」 彼らの母国の言葉。似る部分もあるが、叩き割るようなベルカ語に比べれば撫で切るような響き。ベルカよりもさらに寒冷な地で、口を大きく開けることの無いように発展したという冗談がある。 「いつだって終わりにできるし、誰かが終わりを告げるまで続けることもできる」 とぼけたような返事は、しかし真実でもある。 「いやァ……」顎髭に右手をやり、開いた手は胸ポケットの煙草を探し当てる。「決定的な仕事が終わってねェからなァ」 カシュ、と音を立てて、黒と金の紙箱を開き、黒い紙で巻かれた煙草を取り出す。箱に入れてあったマッチをテーブルの裏で摺って、咥えたそれに火を着ける。一度ふかしたそれを口から離してしげしげと眺め、満足げに笑う。 「焼き尽くす赤と、全てを隠す黒。良い色だねェ」 火が着いたその紙巻き煙草は、彼らの翼の色と同じ。そして、その組み合わせで想起されるものこそ、第13夜間戦闘航空団第6戦闘飛行隊「シュヴァルツェ」が導き手となる──背後からの死。   *  *  *  明かりを落としたブリーフィングルーム。その正面のスクリーンに映し出されているのは、右翼を赤く染めたF-15C。目まぐるしく動く情景。しかしその映像の中心に“片羽”が収まることはない。  一時停止。ブレをまといながら、極めて近いが交錯しない位置で、全てが停止する。 「“片羽”のここからの動きは?」 問うのは、短い金髪に青い目の中尉。質問されたのは、室内にいる残りの9人。 「右ロール30度。ピッチアップ、減速。機体を水平にしてケツを狙う」 答えたのは2番機の前席、ルディ・コーチ。 「いや、俺なら左に沈んで右に高迎角で返す」 「お前ならそうするだろうな、ファス。中尉殿のやり方と同じだ」前衛組で最も若いカールハインズ・ファスバインダーをたしなめたのは、その後席に座るプリギルティス・マクリル。「だが、それは答えではない」 中尉殿、と呼んだ男に目をやる。エリッヒ・ヒレンベランド。何度となく撃墜されつつも生還し、前線に居続け、40歳という年齢でなお戦い続ける功績により与えられた“不死鳥”フェニクスというTACネームを、彼自身は「大げさだ」と好まない。だから部隊メンバーの間では──ほとんど全員が同じ階級だが──「中尉殿(ダス・ルテナント)」と呼ぶ。 「60点。では続き」 ヒレンベランドはそう言って、映像を進める。  片羽が画面から消える。その直前に急激な引き起こしと、緩いロール挙動が見えた。間を置かず不自然な揺れが起こり、映像が途切れる。  かくして、撮影機体は撃墜された。やや暗めの明かりが室内に戻る。 「高迎角、ほぼコブラで、失速そのまま高度下げ、からの、上を向いたまま潜り込んで、機銃?」 2番機のエルンスト・ランツクネヒトが自信無さそうに言った。 「俺の分析では」ヒレンベランドの後席に座る、カール・クレメントが右手の人差し指で己のこめかみをとんとんと叩く。「それが正解」 「つうかケツとられてんのに急減速とかどういう心臓だよ。無理だわー絶対無理。できたとしてもまず射線合わなくね?」 声を上げるのは3番機WSO、ツィンブルギス・トリエンテ。 「別角度から偶然、残っている記録があるんだな、これが」 前衛の4機が戦場に烈風を送る扇の先なら、その要となる5番機。その機長であるハートウィッグ・ブレーマーが笑う。部隊では最も若い30歳だが、その特異な才能──電子戦能力は誰もが認めている。 「んだよ、クソ」映し出された映像を見てトリエンテがむくれる。画面には静止画。赤丸が付けられているのは、フラップ。意図して合わせた角度で、上がっている。「この状態で微調整してんの?」 「そうだな。どういう感覚をしているか知らんが、制御されている。それが“妖精”と呼ばれた由縁だとか」 一見すると不安定な、蝶あるいは妖精のような飛翔。“片羽”の逸話に隠れた、TACネームの理由。 「そして、かつて我が国にも“妖精”のTACネームを持つ戦闘機乗りが存在した。年齢は合致する。記録には名前が変更された痕跡がある」 クレメントの言葉に、フン、と鼻を鳴らすトリエンテ。 「おおかた、不名誉除隊で箝口令とかじゃねーの?」 「トライは、いつも近いだけで正解がないな」トリエンテ──名前と3番機であることをかけて、トライと呼ばれる──に嫌味のない笑いを向けて、ブレーマーの隣に座るカール・ファン・ダイクが言う。「もともとそういう性質の部隊なんだ。名前くらいは知ってるだろう、ダックス・ヴェルクス」 「南ベルカ兵器産業廠・秘密兵器開発部門? 子供向けの都市伝説かと思ってた」 「ダックスは正確には、南ベルカ国営兵器産業廠・独立設計運営局出向部の通称だ。その航空試験班・新型機実験部隊の一人に“妖精”と呼ばれていたテストパイロットがいた」 「機密に関わる部隊の人間が、傭兵として戦場を飛び、あまつさえ元いた国に機首を向けるとは思えないがね」 「その通り。だから、その噂話はここまで。ただ、今後の作戦で、彼らのチームに出くわすことがあったら、考えて戦う必要があるからな」ヒレンベランドがまとめる。「相手を知ることが、勝利への近道だ。俺とクレメントは、そうやって生き残ってきた」 隊員を失っても、優先的に補充されてきたシュネー隊。本人がそう意識せずとも、“戦友”として翼を並べる者を育て上げる。そうした力をも持つのが、エリッヒ・ヒレンベランドというパイロットだった。   ◇  ◇  ◇  顔を洗って見た鏡の向こうにいるのは自分である。そのことに疑いはないのだが、と苦笑する。表情が生まれれば、確信に変わる。まるでホラーハウスの蝋人形のようでも、ここにいるのは俺だ。俺は俺の仕事をする。いかに普段と血色が違おうが。いかに身体が音を上げようが。 「Que tar? ──Mas o menos.」 鏡の中に言って、口角を上げる。そのまま、洗面所を出て行こうとして、犬のような男がそこに居るのを見付ける。 「何か用かい、セント・バーナード少佐」 フランコがまとめる傭兵隊だけでなく、正規軍も含めた多くの部隊が、ベルカに近いこのツェリバート基地に集まっていた。参加が決まった次の連合作戦は、空軍主体のものとしては、規模が今までになく大きい。 「用もないのに待つ訳がないだろう。『体調はどうだ?』と同じ質問を私がしたら、君はどう答える?」 軽口に乗らずに、実直なる総司令官補佐は質問で返した。 「そりゃ決まってる。Muy bien、万事快調、さ」 悪びれもせずフランコは戦友に言う。「Mas o menos.」は「良くも悪くもない」だ。もちろんどちらも嘘。 「見ない振りをできる様子ではない。作戦前ブリーフィングには同席させてもらうぞ」 「意外と暇なんだな」 「馬鹿を言うな。現場が混乱した時の手間を増やしたくないだけだ」止めても止まらないなら、せめて、やりたいようにやらせるしかない。バーナードは心中でため息をつく。「いいか、アルバロ・ゴンザレス・フランコ少佐。貴方でなければ第6航空師団の面倒は見切れん──少なくても私では無理だ」 フランコの目が細くなる。 「俺を買いかぶり過ぎだし、自分自身を卑下し過ぎだ。バーナード、あんただって傭兵たちの相手は務まる。俺のようにやる必要はないんだぜ?」 「現在の職務もある」 「後進が育ってるじゃないか、エスレーヴェン大尉とか」具体的に名を上げると、バーナードが何か言いたそうになる。だが続ける。「ウスティオ軍の悪い癖だ。まだ自分がガキのつもりでいる」 「なんだ、と?」 沈黙で返すフランコ。しばし、にらみ合う。 「──いや、貴方の言う通りか」 ふ、と力を抜いて、バーナードは諦めに似たため息を一つ、軽く吐き出した。 「そうそう、肩肘張って背伸びするより、認めた方が楽ができる」 言って笑う、オーシア大陸東部諸国の、ほぼあらゆる血が混じった男に、吹っ切れた笑いを返すオーシア人。 「ならば、フランコ少佐。この作戦の後、引き継ぎを始めよう」 「いきなり大きく出るじゃないか」 大げさに目を開いて、フランコはおどけて見せる。 「セント・バーナードは、動く時は俊敏なのだよ」  ニヤリと笑い、フランコは左の手のひらをバーナードに向けた。素早く真っ直ぐに繰り出した右の拳は、乾いた音を立てて、グローブのような手に収められた。  その時、二人の持つ緊急連絡用のページャーが同時にけたたましく鳴った。呼び出し、場所は司令室。 「珍しいな」 言いながらフランコは、脇目もふらず駆け出して行ったバーナードの後を追う。バーナードにも見抜かれるくらい音を上げ始めた肉体に負担が無いよう、だが出来る限り急いで。 ▲OPERATION Battle-Axe========== DATE : 28 May 1995 TIME : 1200 AREA : B7R 「緊急出撃命令だ」 集められたのは傭兵だけでなく、正規兵も多い。緊迫した、しかし明瞭な声で、バーナードが切り出した。すぐさまブリーフィングルームが暗くなり、背後にAXE & HAMMERの赤い画面が映る。 「現在、国境付近に位置するベルカ絶対防衛戦略空域B7Rに於き、連合軍とベルカによる大規模な空戦が展開されている」 バーナードは一度、間を置いた。次に出た声は、口惜しさを多分に含んだものだった。 「B7R──通称『円卓』の存在は、長らくベルカの政治的・軍事的・産業的強大さの象徴とされていた。しかしながら──」 前置きは己を抑えるため。問題なのはここからだ。これを、このタイミングで言うことの意味。 「本日正午より電撃的に決行された『バトルアクス作戦』と共に、連合軍はこの不可侵条約の永久破棄を、国際会議場で正式表明。同時に、大規模な航空機部隊によるB7R進撃を開始した」 連合軍は、を強調する。「オーシア軍」と言わず、そして「我々は」でもない。 「だが、状況は芳しくない。そこで我々ウスティオ空軍が、楔を打ち込む。今作戦の成否如何で、このベルカ戦争自体に終止符を打つ機会を得ることができるであろう」 その言葉と裏腹に伝わる怒りに、サイファーは察した。大国に出し抜かれた、という訳だ。 「諸君の健闘を祈る。と、普段は言うところだが、別の言葉に換えさせてもらう。──生き残れ」  傭兵たちは不敵な笑みを浮かべる。それが仕事だ。  正規軍のパイロットたちは、複雑な表情を浮かべる者もいる。その言葉は、裏を返せば、生き残るのが難しいということに他ならない。 「大規模な空戦となる。正規軍と傭兵隊の連携が必要だ。作戦の詳細は、フランコ少佐から通達する」 フランコはまず、丁寧な敬礼を、正規軍に向ける。普段はラフなことが多く、それが彼の人柄を表す一面でもあった。 「投入部隊が多いため、離陸順を含めてセクションでまとめる。全4セクションで時差を付け、『円卓』の支配空域を維持する作戦だ」 物量ではオーシアが上。だが、『円卓』での戦いは量だけでは予測できない。だから、この混戦状況が生まれている。 「セクション1。第2航空師団の諸君、まずは君たちだ」 第2師団は正規軍だ。それ故の驚きが、傭兵隊にもさざ波のように立ち上がる。 「F-15とF-16の12小隊、24機だ。基本的に数で押せるエリアを確保し、『円卓』の一角に我々の支配する空を作れ。指揮はAWACSサンダーヘッドが執るが、何しろ電波状況の悪い円卓だ。現場での判断は、エスレーヴェン大尉に任せる」 B7Rに最も近いツェリバート基地を本拠とする第2師団は、最も早くベルカ軍と戦い、最も多く失われた。その屈辱を知る者たちの中で、指揮官補佐として作戦を鳥瞰するのではなく、大規模な戦闘の最初の矢となる。そして、一時は司令部に属し、首都直掩の第1航空師団を原隊とするレーヴェが、それを指揮するという意味。  即ち、決死。  彼らに与えられた部隊は、そうした性質を持つものだ。 「了解」 赤い巻き毛の獅子を指揮官として育てようとしたバーナードは「生き残れ」と命じた。そして、そのことに長けた傭兵を見せてきた。専守防衛を旨としてきたウスティオ空軍とは異質の姿勢を持つ、戦士たちを。 「生き残ります」 レーヴェは、フランコの斜め後ろに控える指揮官に誓言した。自らの背に負う、23機の重さを感じながら。 「続けてセクション2。長距離支援隊となる。ここは第3航空師団の第08、12、21、25、36飛行隊、第6から05・パース隊、39・アルフェッカ隊、71・リモン隊、99・オメガ隊の各隊が混成となる。8小隊、18機編成。場所が『円卓』だけに、レーダー誘導ミサイルに頼れない点に注意しろ。壁となる敵軍に斉射後、先発隊が押されていれば領空の確保。そうでなければさらに領空を広げるのが任務だ。ただし無茶はするな。第6師団第6飛行隊のパース隊、メダリオンがまとめろ」 「ルーカス・バレンタイン。TACネームはメダリオンだ。よろしく頼む」 傭兵隊の中では比較的、紳士的なメダリオンが正規軍に一礼する。戸惑いの表情を浮かべる者もいたが、すぐに敬礼で返す。 「セクション3。本隊。混戦に強い隊を選出した。第3師団から01、04、15小隊。第4師団から03、04、17、19各小隊。正規軍は01・ヴェンタス隊のカルス大尉にリードを執ってもらう」 「はい」 「第6師団から、06・ウォレット隊、15・サイズ隊、66・ガルム隊、71・リモン隊、79・オーズ隊だ。単独でも有能な連中の複合体に、特にリードは設けない。その力を存分に解き放て」 「おう」 ウォレット隊のリーダー、ノーツがふてぶてしく答える。最古参の彼が、実質的にセクション3の傭兵側リーダーといえた。  主に五大湖地方──ウスティオにとっての西部戦線にいたため、あまり顔を合わせたことのないサイズ隊、浅黒い肌の男が鋭い目でサイファーを一瞥する。 「アンタたちとは一度、飛んでみたかったんだ、サイファー」 サイファーもまた、遠く離れた地からやってきて活躍する彼らの名前は知っている。 「よろしく頼む、シャウワール」 薄い唇の左側が吊り上がる。隊の名前通り、鎌を思わせた。 「ああ。スコアが楽しみだ」 どちらがより多くのベルカ機を落とせるか。それが戦闘における傭兵の価値なら、どちらがより長く生き延びるか。それが傭兵という職業の真価だ。 「セクション4。後詰めだ。落ち穂拾いとなるか、撤退の殿となるか。柔軟性のあるメンバーを選んだ。傭兵主体の混成だ。第4師団から29、41小隊。第6師団から04・クロウ隊、23・カーマイン隊、33・ロックフォール隊、53・プライム隊、67・フェンサー隊、73・ザファル隊。リードは29・レムルス小隊。クロウ隊がサポートに回れ」 「はいはい了解了解」 トゥリンプが軽薄に答えた。 「ご期待に添う働きができますかどうか」 サイファーの隣に座るベルナーが、そう言って肩を竦める。 「落ち穂拾いも撤退戦も、得意だろう?」 サイファーを挟んで座るピクシーが軽く皮肉る。 「得意っていうかまぁ、どうせアレでしょ、邪魔させたくない」 1番機のトゥリンプが薄く笑いを浮かべて言う。 「その通り」フランコはそれを聞き逃さず、トゥリンプに視線を送る。「だからお前らは最後で良いんだ」 「セクションの構成については以上だ。セクション1、2には移動中にAWACSから作戦詳細を伝達する、ただちに出撃準備!」 バーナードが締めると、半数以上が急ぎ足で部屋から出て行く。  残されたセクション3以降のメンバーは、一部を除いてブリーフィングルームに残され、出撃タイミングを待つ。  クロウ隊のベルナーが、顔を向けずにサイファーに語りかける。 「やれやれ。だから最後で良い、だってさ」 「意味が分からない」 「サイファーには言っておくよ。僕たちは基本的に、あのお坊ちゃんの」トゥリンプと共に少し離れた場所にいるPJを指さしながら「護衛だ」 「どういう意味だ」 「文字通りさ。本名はパトリック・ジェームズ・ベケット。この戦争に山を張っているオーシアの会社の一つ、ベケット社の、何人かいる後継者候補の一人」 ベケット社は、一般的にはパン製造会社として知られている。その規模からオーシアでは知らない者はいないとさえ言われるが、国外ではまだ、そう知名度が高い訳ではない。  それに対して「邪魔をさせたくない」から「最後で良い」というのは、つまり、オーシアに繋がる者を主作戦から排除する方向、ということか。  だが、別の疑問が湧く。 「その御曹司が、なんでこんな所で傭兵なんかを?」 半信半疑でサイファーは聞き返した。ベルナーが振り向く。 「こんな所とか傭兵なんか、って自分で言うなよ。まぁ、彼、世代的には三代目に当たるんだけれど。何年か前の旅の途中で、某国のエースに出会ってこの業界を志しちゃったってゆー愛すべきトンチキさんでね」 「はぁ」 確かに今時、珍しいタイプだが、初めて乗った飛行機が戦闘機の後席だった自分も似たようなものかも知れない。気の抜けた返事を返す。 「それまで温室育ち、って訳でもないんだけど、それでも鉄火場に適性があるとは誰も思ってなくてさ。ところがトントン拍子にライセンス取っちゃって、そんなタイミングでこの戦争始まったモンだから。一回墜ちた時に止めさせられなかったのが運の尽きでね」 「そういえばどこかでSAMにやられたんだっけな」 「そうそう。説得はしたんだよ、これでも。でもねぇサイファー、あんたとは無関係なところで、あんたが悪いんだ」 勝手に悪者扱いにされたサイファーは「む」と唸る。 「そっくりなんだってさ。その某国のエースに」 「どこの誰だよ、その迷惑さんは」 聞いたところで仕方がない、軽い口調に乗せられた──その筈だった。 「困ったことにベルカ空軍。レオパルト・ローレンツ。1991年当時の階級は、中尉」 記憶にある名前。そう、とても懐かしい記憶。 「まさか」 まだ戦争など考えもせず、ただ空への憧れだけがあった頃。今とは違う言葉。今とは違う機械油の匂い。今とは違うヴァレー基地。そうだ、あの頃とは、何もかもが変わった。 「TACネームは、プファイル。──知ってる?」 質問の形をとった、確認だった。言わなくても良いけれど、というのは、ベルナーなりの優しさか。  だが、もしそうならば、答えておくのが責任である気がした。 「ああ──兄のような人だった。91年か。俺がウスティオ軍に入った後だな」 「姿が似ている訳じゃない、でも飛び方が似ている、って言ってたよ」  ディレクタス上空で戦ったゲルプ隊の隊長、オルベルト・イェーガーもまた、兄と思える彼、プファイルの薫陶を受けていた。そして、己の飛び方を「似ている」と言った。 「そうだろうな。初めてのフライトは、彼の後席だった。エース、だとしたらどの戦争に?」 「ユーク紛争。80年代の中盤かな。高速機での一撃離脱戦法で、一か月で27機」 当時はまだ、ベルカも海外派兵する余力があった。それが外貨獲得と空軍の練度上昇のための手段だったのかも知れない。 「言っといてナンだけど、考えちゃダメだよ、サイファー」 「分かっている」 言われるまでもなく、考えないようにしていた。  年齢的にはそろそろ、引退していていい頃。だが、まだ機上の人かも知れない──もしかしたら、もう、自分が手にかけたかも知れない。  それが戦争だ。そして今の自分は、契約次第で、昨日の仲間が明日は敵ともなりうる傭兵だ。頭では理解している。 「厄介なことだな」 サイファーは吹っ切ろうとして立ち上がった。  だが、初めて飛んだ日のことを、忘れられる訳がない。その記憶が飛び方に染みつき、誰かに印象を伝えているのなら、それは捨てられるものではなく、だからこそ、苦くも甘くもなる。  フランコが入室する。全員が立ち上がる。  壇上にあがる前に、一つ息を整えた。 「セクション1が間もなく交戦に入る。報告ではオーシア軍が押されている。想定していたよりも、敵の数は多いということだ。この隙に乗じ、『円卓』の椅子を可能な限り奪え。セクション3、出撃だ」 「了解ッ!」 カルス大尉が答え、駆け出して行く。それに引きずられるかのように、正規軍が。やや遅れ気味に傭兵隊が。  ピクシーもそれに続こうとする。だが、相棒が立ち上がったまま動かない。 「サイファー?」 彼の視線を──真っ直ぐに前を見ているその先を追う。 「どうした、出撃しろ」 フランコが促す。だが、その声に濁りがある。先ほどまでの──これまでずっとそうだった、聞く者を鼓舞する力強さが、今はない。 「早く行け……!」 ひどくしわがれた、振り絞って、それでもなお通ることのない声。  日に焼けた快活な肌の色は変わらないようにみえる。目に疲労の色があるのは、この戦争中ずっとだ。だが、決定的な違和感。背中を押してくれた、その声を発する唇。  赤みが退いていき、そして、半開きに。  その手が震えながら、左胸の中程に。 「心臓か、少佐」 その相棒の声は、予想していたように静か。  首を振ろうという動きだろうが、意味を成さない震えが返る。  呼吸が乱れ、引きつけるような音が立つ。 「心停止の可能性! 医師を呼べ! 早く!」 相棒の放ったその声は、地上では聞いたことがないほど強く、ピクシーはその声に反射的に動く。周囲にいた兵たちが、何事かと室内をのぞき込んでくるのを押しやり、医療室に走る。 「軍医、すぐ来てくれ、第1ブリーフィングルーム。フランコ少佐がヤバい!」 驚いた顔で立ち上がる、少し太めの医師。 「状況は?」 「おそらく心臓」 心得ていた事態だったようで、慌てず迅速に注射器とアンプルを準備し、別の大型の取っ手付きケースをピクシーに「運べ」と押しつける。ラベルから可搬式除細動器と見て取る。 「他は」 「まず現場だ。おい、後からで良いからストレッチャーを2人で持ってこい」後半は同室に居る看護師に向けたもの。  元の部屋へ戻る。軍医よりも先に到着すると、サイファーは心臓マッサージに入っている。他の兵たちが気道確保を済ませ、人工呼吸に取りかかろうとしていた。ピクシーはサイファーを挟んで反対側のフランコの脇にスペースを確保し、除細動器のケースを広げる。 「人工呼吸はいい、除細動を優先する」 遅れて来た軍医が言い、機材を準備する。整うとサイファーの胸骨圧迫を止めさせ、着衣を剥ぎ取る。 「離れろ」 一度目の通電では無効。圧迫。1度目。圧迫。次の通電準備の間に、身体反応。 「……っぐ……」 すぐに圧迫を停止。頸動脈で脈拍を、口元で呼吸を確認する。 「処置有効。ストレッチャーを入れろ」 言いながら、頬を手のひらで叩く。 「フランコ少佐、私が分かるか?」 薄く開いた瞼の間で瞳が彷徨い、そして一点で止まった。 「……ラビ、げほ、トラビス、世話に」しわがれた声で言い直す。「世話になるな。くそオンボロ心筋め、保たなかったか」 「どこまで思い出せる?」 事務的に問う。フランコがそう望んでいたから。 「そこの馬鹿傭兵どもが、出撃命令が下っているのに救命措置を始めるまでだ」 声は弱いが、記憶の混乱はないようだ。 「指揮は中止だ、少佐。私が後を引き継ぐ。休め」 知らせを聞いて駆けつけたバーナード中佐が告げる。 「セクション3の居残りの馬鹿どもを送り出すまではやらせろ。──行け、ガルム隊。生き残れ。帰ってきたら、バーボンで迎えてやる」 仰臥し、枯れた声のまま、それでも指揮官は命じた。  サイファーは立ち上がる。ピクシーもそれに倣う。  正式な敬礼。 「ガルム隊、出撃します」 二匹の猟犬が、鎖を解かれたように、駆け出す。それを見送った指揮官は、大きく息を吐き出した。 『ガルム隊、何をしていた!』 整備班のポートランドからも遅いと怒鳴られたのだから、管制に批難されることは、想像に難くなかった。 「すまない」 一応は謝罪する。だが、その後に言われた言葉には流石のサイファーも動揺する。 『クロウの3番がガルムの穴を埋めるっつって行っちまった! 1、2番も着いて行きやがった!』 『あンの馬鹿が!』 ピクシーが呻く。 「後で一緒に頭下げに行く。ガルム隊、出撃する」 『──!』ひとしきり耳元で歯ぎしりのような音が響いた。『帰ってこなかったら遺産はまとめて俺が引き受けるからな』 「そうならないように努力するさ」 着いた時には既に始動されていたジェットエンジンの音。いつもと変わらないシート。焦りが鎮まる。不思議なものだ、とサイファーは思う。機体より早くは戦場に辿り着かない。ならば、先行した戦友たちを信じるのみ。 『セクション3、6師団66小隊ガルム。離陸準備良し。以降の確認は省略。最速で行け』 「了解、最速にて発つ」 本来は各所で必要な安全確認を省略、滑走路末端で軽い衝撃を受けながら、止まらずに通過。  加速。滑走路の半分も使わずに機首を上げ、一気に高度を取る。2機、ほぼ同時に。  地上で見送る者たちが感嘆の声を漏らすほど、その動きはピタリとそろっていた。  レーヴェたちセクション1が『円卓』に辿り着いた時には、既にテーブルは煮えくりかえっていた。口火を切った筈のオーシア軍は劣勢。その一つの理由が、低視認塗装よりも濃い灰色の一群だった。  中距離ミサイルを放った後、一気に切り込んだレーヴェは、その後ろを取ろうと旋回するが、自らの後ろを取ろうとする敵機に阻まれる。その戦法には覚えがある。MiG-29の垂直尾翼に描かれた、人相の悪い蜂がそれを裏付けた。 「グラオヴェスペ。3師の蜂を確認」 西部戦線で戦ってきたはずの第3師団。途切れがちの無線から、他にも複数の『灰色(グラオ)』の隊がこの場にいると知る。オーシアの物量に耐えて生き残り、なお戦う強者たちだ。  左と見せて右にロールしながら上昇。ハイ・ヨーヨーで背後の敵を押し出そうとするが、それは見抜かれ、左へロールして外された。自分が仕掛けた前衛の機が、前方で反転、こちらを狙う構え。 「コーダ、後ろの奴を」 『了解』 後ろを任せるコーダが巻きこむように、グラオヴェスペの前衛の機動を抑えれば、その2番機が対応した動きを見せる。2対4。だがこちらにも列機がいる。 『大尉、右45』声をかけたのは、2年後輩のトルトニス。雷鳴という大げさなTACネームの割には、細やかな戦況分析ができる。『今。FOX2』 レーヴェが自分の言う通りに動くことを確信しているからこそ、間を置かない発射。イーグルの翼下から放たれたAIM-9が、双垂直尾翼に広い翼面という似た姿の敵機を捉える。  レーヴェは右シャンデル中に確認した、こちらへ急行する新たなSu-27のペアへ機首を向け直す。AMRAAM2発。行方を見届けず、左から迫るグラオヴェスペに対して左にロールし、距離を詰めつつ軸をずらす。 『灰色を撃墜、Su-27が散…、二手に分か…た』 ノイズ混じりの声で、トルトニスが報告する。 「スレイプニル、ペイラは灰色に集中」 《アウラ隊、ルフタ隊がSu-27に対応…ろ》 AWACSイーグルアイが、現場の意を汲んだ指示を出す。トルトニスが率いるペイラ隊を加え、4対3で灰色の雀蜂を捕らえる。 「数の優位はないぞ」 『分かってます』 「訓練通りにやる。散開」 各機が、先頭の機体を取り囲むように動く機動を取り、個別撃破を狙う。  まずはコーダ。続けてトルトニスが迫った所で、敵もこちらの狙いに気付き、3機目の──ペイラ2・ヴァリの動きを阻害しようとする。基本的な対抗戦術なのだから、当然といえた。そしてその対応も、準備している。  トルトニスが急反転。既に距離を開けていたコーダが大きく回り込み、挟撃に出る。ヴァリを抑え込む2機には、レーヴェが当たる。2機の間に滑り込み、尾翼に赤いラインが入った片割れを、M61バルカンで仕留める。 「CAG撃墜」 アラート。背後に位置する、アウラ、ルフタ隊の間隙を縫ったSu-27からか。赤外線追尾ミサイル。距離的にミサイルの推力に余裕がある。  フレアをばらまき急上昇。速度は犠牲になるが、フレアへの食いつきを狙う。  背後に爆発を感じながら、周囲の状況をチェック。雀蜂の残り2機は撃墜。しかしトルトニスが、グラオヴェスペの1機に墜とされた。 『トルトニスの脱出は確認してます』 コーダが言うが、生存は不明だ。知らず顔をしかめる。 《セクション2、戦域到達。方位135に注意》 長距離ミサイル攻撃。だが『円卓』では、IFFが有効に働けば、という条件が付く。 「全機回避を優先」 目標を決めて発射された長距離ミサイルは、加速を終えて自らの目標に向かって微修正しながら慣性飛行する。エネルギー損失を抑えるため、戦場より高高度から放つのが常。機首を下げる。 《第1波、到達》 見上げると力を失った敵機が数機。 《第2波、到達》 爆発炎がいくつも生まれ、それが少しの間を置いて連鎖する。 《最後だ》 1、2波で狙われず、回避の余裕が有った機体も、いくつかが食われる。 《空域アルファの残存敵機、6》 AWACSの中間誘導の故か、もしくは攻撃点の見極めの良さか。想像以上の効果的な打撃。 『上々だな。セクション2、メダリオ…から…クション1全機。機体損傷がある機、残り兵装…不安な者は退け。セクション3も基地を発った』 メダリオンが指示することに違和感。本来はAWACSの仕事だ。 「メダリオン、AWACSに何か?」 『基地から緊急連絡…あった。すぐ復帰する』 不安は残るが、それに拘ってはいられない。兵装をチェック。1番機を失ったヴァリを隊に加え、方位135に──合流点に一時退きながら高度を戻し、合間にコール。セクション1は、4機が失われ、残り20機。 「この場を守り抜く」 『了解』 コーダが応じた。   ◆  ◆  ◆  機体の都合は付けられるが、問題は燃料だった。だが、背後でそれを手引きした者がいて、そしてそれに前線基地で呼応する者までいた。 ──まさか、彼まで動かせるとはな。 口ひげの下で感心の笑みを浮かべ、その男の執務室がある方を見やる。その窓にはブラインドが降りているが、こちらを確認しているような気がしていた。  畏まる整備員に、感謝の意を示そうと、軽く手を上げる。 「祖国の為に」 そう声に出したが、その先は胸の中にしまい込んでおく。 「この機体で、よろしいのですか?」 「ああ、慣れているよ」 MiG-21bis。その外観は、今となっては旧式感が否めない。だが、言葉は事実だった。この機を駆って回った戦場は多いし、そう昔のことでは無い。  連合軍の大規模な攻勢で、猫の手も借りたい状況にあるこの基地。出立のための書類に多少の不備があったとしても、通ったかも知れない。だが、そこは正式なものが出た。  この地から発つに当たり、懸念だった最後の事案には、先ごろケリが付いた。かつての前席は自分の部下が保護し、この機体を準備した信頼の置ける友が、その保護下に置いた。  機体に乗り込み、機器をチェック。近代化改修が施されたが、アナログ機器がまだ多く残り、それらは雄弁に快調を伝える。心地良い。 「ご武運を」 チェックリストを共に読み上げた終えた、整備員が言った。 「ありがとう」 「光栄です、ブフナー大佐」 緊急出撃名目の単機飛行。目的地は戦場、B7R。今でなければならない。護国の剣を失った祖国が、より愚かな間違いを犯す前に。  彼は言った。自分が手にした栄光全てを捨て去るなら、願わくば行く手に幸あれと祈る、と。  キャノピーを閉め、タラップを降りて整備員は叫ぶ。 「特務013・フッケバイン、出ます」 自分自身が全てを失う覚悟は、もう済んでいる。心と同じく、翼は重いが。願わくば、我がフライトが祖国に不幸中の幸いをもたらさんことを。  指で押し下げたブラインドの細い隙間から、灰色を基調にしたデジタル迷彩が施された、旧式の機体を見る。タラップに立つその乗員がこちらを向いている。目が合ったような気がした。 「本当に、これで良いのか」意識だけを背後に向け、呟くように問う。「本当に、あの方を行かせて、良いのか」 答えるのは女性。 「大佐が自ら選んだ道です」 「……私ができるのは、ここまでだ」 ブラインドから指を離し、振り返る。ベルカの航空戦力の、一方の柱とさえなっていた、赤い燕──デトレフ・フレイジャー少佐。 「私が自らの名において、大佐を『円卓』に送ることになるとは」 「全てはブフナー家による計画。少佐に塁は及びません」 ローラ・サマー大尉──騎士の血を引くパイロット。彼女が、このプランをフレイジャーに持ちかけた。 「継嗣だぞ、大佐は」 「ベルカ公は成否に関わらず、ブフナー家を処分します」 「国の象徴である公家を守るためだ。それは分かる。だが、なぜブフナー大佐で無ければならない」 分かっている。敵国を動かすには、それ相応の説得力のある存在が不可欠。だが、同じ空軍に居る者として、そして高潔なる空の騎士として、尊敬していた相手が、自ら汚名を受けることになろうとは。 「私も、同じ思いですよ、少佐」サマーは押し殺した声で告げた。「それでも、私たちは守らなければならないのです」  議会が国の行く末を決めてきた近代ベルカだが、昨今の経済悪化から極右政党が与党となり、この戦争になだれ込んだ。恩恵として空軍の強化があったし、フレイジャー自身も自らの名を上げた。  だが、敗戦色が濃厚になってなお、戦いを続けようとしている。  逆転を狙える兵器の存在。それを使うための時間稼ぎ。フレイジャーは気付いていた。 「選んだのがベルカ国民なら、幕を引くのもベルカ国民で無ければならない。この国が、この国であり続けるために」 翼無き燕は、騎士の魂を持つ戦友を見つめる。自分を公家の側に付くと信じて、ブフナーの脱出に支援を求めたのは、彼女だった。 「なぜ、私が協力すると?」 軽く肩を竦めて、騎士は答える。 「貴方は、同じ負けを繰り返さない人でしたから。歴史を学び、過去の過ちに正面から向き合える、そう信じました」 たかが広告塔だった自分が、信頼されたものだ。自嘲気味に思う。  だが、広告塔であり続けるつもりは無い。  翼を失い、地上の人となった自分は、次に何をすべきか。それを考えた時、そこにいたのが彼女だった、というだけ。  それだけの筈だった。 「──確かに、子供の頃の夢は、歴史家だった」 「やっぱり」 サマーは、嫌味の無い笑いを浮かべて言った。  もちろん嘘だ。軍人の家に生まれて、父親に反発して空を志したが、歴史家になろうと思ったことは無い。  だが、そういうことにしておこう。今からでも、もしかしたら遅くないかも知れない。   ◇  ◇  ◇  ウスティオ空軍セクション2は、長距離ミサイルを大量に積んできた都合上、継戦時間は短い。だが、傭兵たちの遣り繰りの上手さが際立った。  正規軍は格闘戦には積極的に関わらせず、パース、アルフェッカ、リモン、オメガの各隊が釣り出す戦法が中心。しかし傭兵隊も逃げるだけではなく、隙あらば敵機を噛み砕く。 「リモン1よりアルフェッカ1、パーニー。どこの出だ?」 余裕ができた間に、ペンネが話しかける。あまり話す機会のなかったアルフェッカ隊はラファールを狩る。ダイナモ作戦の少し前、傭兵隊に加入したが、これまでに1機を失い3機編成だ。 『エメリアはキエラ出身。そっちは言わなくても分かるぜ、パスタ隊』 「この辺じゃ見ない飛び方だと思ったが、エメリアとはね」 F-14Aトムキャット2機のリモン隊、その1番機に乗るペンネが豪快に笑う。 「キエラは産油地帯ね」 後席のファルファレが話に加わった。 『そうそう、っと』 「300、マイナス5にF-15、2機。左ブレイク、ナウ」 同じタイミングで、リモン隊の2機が急転進。 『貰っていいか?』 ファルファレが周辺の状況をチェックする。 「ご自由に。ただし270から350方面には引き続き警戒」 『モチのロンだ』 競い合うように3機がベルカ機に向かう。 《AWACSイーグルアイよりセクション2。方位330より約15機。全機警戒せよ。150からAMRAAMが6発行くぞ》 『早いな、セクション3か?』 怪訝そうな声を上げるパーニー。 《切り込みは三羽鴉だ。セクション4から3に変更した》 「あいつら、フランコの言うことは聞くと思ってたがな」 『こんな規模の空戦、初めてだ!』 浮かれた声を上げているのはPJか。 『アルフェッカ1から3、FOX2』 置き土産にMICA-IRを放ち、即座にスプリットSに入って速度を稼ぐ。 《アルフェッカが1機撃墜。食いつかれるなよ》 『イーグル相手じゃ、ちょっと分が悪いかもだ』 「突出するからだ、馬鹿もん」 『助太刀します』 オメガ隊2番機、ミツルギのF-15が対峙位置に入った。やや遠目からIR。ノースポイント独自のTYPE-90/SRM。命中。 《330の敵機、長距離ミサイル発射。総数不明、全機回避!》 「おいでなすった」 既に回避機動に入っている自分たちはさておき、他のメンバーはどうか。  方位60。右手にいる正規軍との間に想定される直線、できるだけその近似の位置でチャフ。パース隊は240方向へ同様の行動。大した量にはならない。それでも、被弾率を下げられるなら、それが自分の生存にも繋がる。 『1機やられた!』 パーニーが呻く。 《到達予想、3、2、1、今》 右手で複数の火球が起こる。爆発と共に金属片やロッドが空を切り裂き、やわな機体構造を破壊する。 『バイパー!』 メダリオンが珍しく叫んだ。自分たちの機体よりもステルス性が高いはずのタイフーンが、力を失って墜落していくのを認める。 「ルマーケ、無事か?」 『アイ、サー』 こちらは無傷。『円卓』では運も大切。 《セクション3の中距離…撃、敵機7機…撃墜。そのまま格闘戦に入れ。セク…ョン1、2は後退し立て直せ》 AWACSの声が終わるやいなや、F-16が3機、戦場に躍り込んだ。それに続いて、混成の部隊。殿はウォレット隊。だが。 「ガルムの二人はどうした?」 居るはずの存在が無い。ペンネは誰にともなく質す。 《──別の敵部隊がオーシア側エリアに侵入。大攻勢》 AWACSからの答えは、ない。  いきなり乱戦か、とノーツは呆れた。敵も味方もこの暴力の波に飲み込まれている。遠距離でチクチクやり合うよりも、近距離での殴り合いを選ぶ。正規軍を指揮するヴェンタス隊のカルス中尉さえ、自ら切り込んで行く。敵の控えがまだいるかも知れないのに。 「ああもう仕方ねぇな」 大きく外から渦を巻くように、中心へ、じわじわと進む。数はこちらが上。だが敵の練度が高い。 「まだこんな部隊が残ってるのか」 中でも灰色のSu-27の動きに目を見張る。 『あの色、グラオカッツェ…な。西部で煮え湯を飲まされた。ゲルプが居な…れば奴らがトップだったろう』 サイズ隊を率いるシャウワールが吐き捨てた。 「ふん。ま、何とかなるかな」 それが渦を作り出しているなら、止めるまでだ。  ベルカ軍の方が先に戦場を確保した分、こちらが不利に働いていた。正規軍のおかげで、それは崩れた。しかし、セクション1のほとんどと、2の一部が機体損傷、または補給のため撤退する。  ならば、そろそろ自分も動くとしよう。 「その灰色のフランカーは俺たちが相手する」 『やっぱそうなるのね』 3番機デニー、4番機ロッシが追従する。 「デニーは右の別部隊を警戒。ロッシ、いつもの奴だ」 『了解』 軽量のグリペンの機動力を生かし、小刻みに動きながら、最後は挟み込むように。  だがフランカーは加速し、その牙から逃れる。 「んだよ、応対しろよ」 『お得意の手に乗れるか』 ノースクランブルの割り込み。グラオカッツェ。背後で鋭くロールし斜め上昇に転じる。 『あらやだ、研究されてるわね』 ロッシの口調が変わる。余裕がないと女性的な言葉遣いになるという謎の癖がある。 「ロッシ、後ろにも警戒。敵は猫だけじゃないぞ」 『分かってます』 「デニー、右は十分だ、フォローしろ」 『アイサー』 加速しながら右旋回。彼我5機が互いに後ろを取り合おうとする、巴戦に近い状態。 「デビューし立ての頃を思い出すな」 まだIRミサイルの性能が低かった頃の話。後尾の熱源──エンジン排気をしっかり捕らえてさえ、当たらないことはザラだった。最終的に身を救ったのは固定武装たる機銃。  敵機の動きを見逃さず、次の機動に一瞬を置かず追従する。同時に背後の敵を感じ、時には揺さぶりをかける。  図体に比例して出力の大きなSu-27のフラップが返る。追う。一瞬だけ軸を外し、背後を牽制する。混戦の中だ、いつ別の場所からミサイルが飛んでくるか分からない。誰かが諦め、離脱するまでの、数十秒のチキンレース。  経験がその恐れを打ち消す。麻痺している訳では無い──別にそれでも良いが──その感覚を、僚機に伝える。 『3、離──』 デニーが音を上げようとしたその瞬間、眼前のフランカーが下を向いた。離脱機動。 「貰った」 急減速、機首を下に。すぐに加速。軽さを生かせ。  トリガー。BK-27が弾丸を吐き出す。装弾数は少ないが、速く重い弾頭が猫の尻尾に追いつく。  自身も転進。結果は後から付いてくる。 『ウォレット1が敵機撃墜』 ロッシが告げる。素早くレーダーに目をやる。悪くない位置。ほらみろ、粘れば良いことがある。 「デニー、撃て」 『っく、FOX2!!』 最良のタイミングより遅れた。フレアをばらまくSu-27。駄目か。 『悪いね、貰うよ』 オーズ隊隊長、フランキスカのF-16DからAIM-9。命中。 「ああクソやってられっか!」 八つ当たり気味に罵声を浴びせて、隊の体勢を整えつつ戦況確認。 「おいおい、こっちに後退してくんなよ」 劣勢のオーシア軍が、ウスティオがこじ開けた隙間に逃げ込もうとしている。中に一部隊、動きの良いのがいるのを見付けた。4機編成のF-14。空軍なのに海軍機。以前キントが言っていたような気がする。それから、F/A-18の2機編隊。F-14とは全く関わりなく動きつつも、重要なところを押さえて、オーシア軍を辛うじて踏みとどまらせている。  AWACSからの通知音。 《──連合軍総本部より入電!》 そんなものがあるのか、とノーツは苦笑いする。少なくても自分たちはその中にいない。 《連合軍の戦力、その40%を損失!》 そりゃまぁ逃げたくもなるわな、とぼんやり考え、それが尋常でない数値だと後から認識する。 「ああ?」 『くそ、数が多すぎる。手に負えん』 リモン隊のペンネも同意見のようだ。 『増援はまだか!』 悲鳴を上げているのはウスティオ正規軍か、はたまたオーシア軍か。  ノーツがいよいよ離脱を考え出したその時、その声が届いた。 『よし、花火の中へ突っ込むぞ!』 上空に高速で2機。前方の敵軍さえ越えて。 ──奴ら、どうしていつも美味しいところを持って行きやがる。 背面に入り翻るその軌跡が、奇跡のような望ましい弧を描いて下り、大地と平行になるその時、それぞれ2つの暴力を切り離す。白く細い力は『円卓』のノイズを越えて、4機を的確に仕留めた。その勢いのまま、群れの中に疾駆して行く。  来たな、と、思わず口元が緩む。こちらに傾きかけた戦いの流れを覆す、見事なまでの一撃。  その登場に間に合った。エリッヒ・ヒレンベランドは『円卓』に向かう愛機のレバーを握り直す。 「シュネー1から5、ECM準備」 「5了解、ECM準備」 ついに、望んでいた相手と相見えることができた。良き好敵手となろう。その純粋な戦いを前に、青い瞳が輝きを増している。 「各機。目標は、飛び込んできたウスティオの傭兵だ」  背後で呆れたような気配。だが、それもすぐに引き締まったものに変わる。 「楽しむぞ」  畳まれた翼は、槍の穂先のように。その腹に2本の投げ槍を携えて。白き不死鳥は、戦場を目指す。 ...To Be Continued.