「ナガセさん、そんなにうろうろしてても仕方がないですよ。」 「まったくだ。そんな風にしていたって、時間が早まるわけでもないだろう。」  グリムとスノーが、少々いらついた表情のナガセに声を掛けた。 「そんなことわかってるけど、落ち着かないのよ…」  ナガセは椅子に腰掛けると、大きなため息をついた。もう何度目だろうか。  ブレイズの目には、言葉少なに答えるナガセが普段よりも弱々しく映った。いつもならもっとシャンとしているのだが、無理もない。  ニカノール首相が無事ケストレルへ到着してから、結構な時間が経っていた。  脱出してきたメンバーは艦内で簡単なメディカルチェックを受けた後、艦長のアンダーセンや親父さん達と情報を交換し、今後の対応を協議している。  ブレイズ達は着艦後、脱出組と対面してそれぞれの無事を讃え合ったが、ゆっくりと話をする間もないまま、今はラウンジで時間を持て余していた。別にここに居ろと言われたわけではないが、自室に戻る気にもなれず、何とはなしにここへ来て待っている。  落ち着きのないナガセをぼんやりと見やると、ブレイズはため息交じりに隣のテーブルに視線をやった。ジュネットも、仕方がない、と言いたげな目でこちらを見ている。もっとも、その手がカメラをいじくり回す様子を見れば、彼自身も落ち着いているとは思えないが。  ブレイズは、冷めたコーヒーを口にした。 「待ち人が恋しいのはわかるんだがな、まあ、そうカリカリしなさんな。」 「別にそんなわけじゃ…」  スノーがからかうように言った言葉にナガセが反論しようとしたその時、不意にラウンジの扉が開いた。そこには、下士官に案内された待ち人とその失恋相手の姿があった。 「何だ、大の大人が雁首揃えて暇つぶしか?」  バートレットは以前より幾分やつれて見えたが、口の悪さは相変わらずだ。 「隊長!」 「ナガセ、隊長は俺じゃねえ、そっちに座ってんだろうが…」 「でも、隊長は隊長です。」  ナガセとバートレットのそんなやり取りを見て、ブレイズは吹き出してしまいそうになった。もしナガセに尻尾がついていたなら、それは犬が嬉しがっているときのように激しく振られているのだろうかと、そんなことを思っていた。 ―――――  スノーは、どうも席を立つ機会を逸してしまったらしい。  これまでバートレットとはきちんとした挨拶もできずにいたから、彼が打ち合わせを終えてラウンジへやってきたら言葉を交わして、あとはブレイズ達と気兼ねなく話ができるよう自室にでも戻っていようと考えていたのだ。だが、その挨拶も済まないうちに、ナガセはバートレットにあれこれと話し始めてしまったのだ。  そのバートレットはと言えば、たまに相槌を入れながら、茶々を入れることもなく話を聞いている。他人の長い話を好まない彼には珍しいとも言えた。  ナガセは、まるで娘が長いこと家を留守にしていた父親に話すかのように、これまでのことを話していた。態勢が整わないままに迎えた開戦のこと、二隻の空母が失われたイーグリン海峡での激戦、シンファクシ撃沈と味方の新兵たちのこと、捕虜奪還作戦と自分の不注意により撃墜されたこと、ジラーチ砂漠での戦闘、エトセトラエトセトラ。時折、グリムやジュネットが補足をしながら、話は続いた。  そんな彼女が言葉を詰まらせたのは、スタジアムに”The Journey Home”が響く中でかけがえのない仲間を失ったあの日のことを話しているときだった。それまではナガセにしては饒舌とも思えるほどの話しっぷりだったのが、見る間に目が赤くなっていく。話が途切れ途切れになる。途切れた言葉を継ごうとするが、やがてそれも続かなくなった。グリムも押し黙ってしまった。  ブレイズがようやく口を開いた。努めて冷静に、しかし二人を気遣って言葉を選んで話しているのがバートレットにはわかる。  ナガセたちの話を聞いていて、バートレットには心配なことがあった。いや、今に始まったことではなく、ずっと以前からそう思っていたのだが。  それは、ナガセのことだった。  ナガセはかつての訓練中から出来のいいパイロットだった。飲み込みも早いし、常に周囲を見渡して冷静な判断ができる。剛胆で芯も強い人間だ。だからこそあの敵襲を生き残れたのだろうし、彼女が撃墜された時にも敵を捕虜に取るようなことまでやってのけたのだろう。  しかし、自分にとって予想外のことが起きたときや親しい仲間に何かあったとき、自分を見失って冷静さを欠いてしまう。訓練中にもそういった場面はあったし、バートレットが彼女の身代わりに撃墜された時も、捕虜奪還作戦で撃墜された時も、そういった面が出てしまったように思えた。ブレイズは詳しく語らなかったが、チョッパーが死んだときにも危ない場面があったのかもしれない。  冷静さと脆さの両面がどちらも強く出てしまう、言い換えれば浮き沈みの激しい性格は、何をしでかすかわからない危うさがある。だからこそ、バートレットはナガセを二番機につけたのだ。  ただ、今のナガセはそこまで自分を見失っているようには見えなかった。現に今日の作戦でも、口調こそは少々浮かれた部分はあったし、飛び方も変わっていないが、以前のような危うさは見られなかった。 「なあナガセ、言っても仕方ねえことだが、チョッパーのことは落ち着いて考えられるようになったか?」 「今はまだ消化はしきれません…」 「そう言う割にゃだいぶ落ち着いてるようじゃねえか。ここで言うのもなんだが、お前は見かけより脆いところがあるからな。もっと落ち込んでるんじゃねえかと…」 「それはありません!」  バートレットの言葉を遮るように、ナガセは少し大きな声で言った。 「いえ、確かにあの日…チョッパーが死んだとき、自分の周りも見えなくなって、ただ敵機を落とすことしか頭にありませんでした。泣きながら帰投したことは覚えていても、それ以外は記憶が曖昧で…。帰投したとき、私もグリムも泣いていました。ただ、ブレイズだけは冷静で、涙の痕すらなかった。」 「その時、この人はなんて冷たいんだろう、大事な仲間が死んだのに、なんで涙も流さないんだろう、そう思って…」 「そうでしたね、僕も隊長を見て冷淡な人なんだなと思っちゃいましたし。今思えば、あの時は僕たちもずいぶんと気が高ぶっていたんでしょうけど。」  グリムがぽつりと口にすると、ナガセもそれに頷いた。 「…だからその時、ブレイズに詰め寄ったんです。悲しくはないのか、敵が憎くはないのかと。人間としての心はないのかと。」  ナガセはそこでいったん言葉を切って、ブレイズを一瞥する。 「ブービーは何か言ったのか?」 「はい、あの時のブレイズの言葉は忘れません。」 『自分は一番機だ。一番機が仲間の死で動揺したらどうなる?  バートレット隊長を思い出せ。あの人は訓練中の攻撃で、教え子たちと仲間の教官を一度に失った。きっと、かつてのベルカ戦争でも僚機を失っているはずだ。  スノー大尉を思い出せ。あの人も今の戦争で沢山の僚機を失った。同じ母艦だけじゃない、共に戦った仲間のほとんどを失ってしまった。  憤りはあるかもしれない。悲しみもあるかもしれない。憎いと思うこともあるだろう。でも、彼らはそれを見せたことがあっただろうか。  それで動揺するような隊長に、果たしてついていくことができるだろうか? ついていきたいと思うだろうか? 自分はそうは思わない。  もし君達二人が悲しいのなら、泣かないこの身の分まで泣けばいい。それが供養になることも知っているから。  もし君達二人が憎いと思うなら、存分にこの身を憎むがいい。自分の力量が足りなかったのは事実だから。  二人がどう思おうと、これが自分の信念だ、曲げるつもりはない。』 ―――――  バートレットはその後もナガセたちの話を聞いていたが、今日までのことを一通り聞き終えると、今日は疲れただろうし早く寝てしまえと言って皆を自室へ戻らせた。ナガセは少し不満げな顔をしたが、今日しか話ができないわけでもないし、何より彼自身もゆっくりとした時間が欲しかった。  皆がラウンジを出ていくのを見届けると、バートレットは椅子にもたれかかって息を吐いた。それを待っていたかのように、ナスターシャが水割りを差し出した。 「おう、気が利くじゃねえか」 「ふふっ、そこのバーのものをちょっと拝借したのよ。たまには飲みたいのじゃなくて?」  普段からさほど飲むわけではないが、確かに撃墜されてからこっち、酒を飲む機会などなかった。グラスを口に付け一気にあおる。  それにしても、とバートレットは思う。  ここからの戦い、どうなることだろうか。ベルカの残党どもが裏で糸を引いていることは見えてきた。目指すべきところは分かっている。だが、事態は流動的で予断を許さない。他にも気になることがいくつかあった。  彼一人で考えても仕方ないことは分かっているが…  バートレットが思考の海に沈みかけたとき、ラウンジの扉が開いてブレイズが顔を出した。 「おじゃまでしたか?」 「いや、そんなことはねえさ。誰もお前のことをデートの邪魔をする無粋な奴だなんて思いやしねえ。」  バートレットは笑いながらそう言うと、テーブルの向かい側を顎で指した。ブレイズはバートレットとナスターシャの顔を交互に見やると、バートレットの向かい側に腰を下ろした。  ナスターシャは二人の前に新たなグラスを出すと、バートレットの隣に座った。無事な再開を祝ってグラスを鳴らす。 「それにしても、あなたがあの二人に語ったセリフ、なかなかカッコよかったじゃない。」  ナスターシャの言葉に、ブレイズは一瞬苦笑いを浮かべた。あの言葉はブレイズの本心ではあるが、まさかナガセから語られるとは思っていなかったからだ。 「そうだな。ナガセが話しているときのお前の顔は見物だったぜ。涼しい顔しながら、目はあちこち泳いでいるんだからな。」  そんなところまで見られていたとは思わず、その場を誤魔化すようにあわててグラスの中身を流し込む。そんな様子を見て、ナスターシャは喉の奥でクククッと笑っている。 「で、どうした?」  ブレイズがグラスを干して一息つくと、バートレットは単刀直入に尋ねた。 「ここまで急ぐことではないと思うんですが、ユークの内情にも詳しい少佐も合流したことですし、これまでの情報のすり合わせや今後のことを…」 「そのことなら、さっき首相や艦長も交えて話をしてるさ。もちろんお前らには明日にでもちゃんとした話はする。今後の事は敵さん次第だが、ま、ここ何日かは動けねえだろうな。」 「そう…ですか。」 「それよりブービー、本当に聞きてえことは何だ?」  バートレットは、ブレイズがこの程度の話を聞きに来るとは思っていなかった。わざわざ個人間で話すようなことではないのだから。 「…手強い敵がいます。」 「手強い? そりゃ戦争だ、易しかねえだろうが、オヴニルもグラーバクも蹴散らしたお前らだ、俺はそれほど心配しちゃいねえ。」  そう答えながら、バートレットは先程のナガセ達の話を思い出していた。彼が気になっていることの一つがその話の中にもあった。 「実は…」  ブレイズの話す手強い敵とは、彼らが脱走する直前に行われたクルイーク要塞攻撃時の増援のうちの一機だ。それまでは順調に攻略が進んでいたのが、この敵機が現れた途端に苦戦を強いられたという。結果としては増援機の到着が遅かったため、要塞を攻め落とすことはできたのだが。 「自惚れるわけじゃありませんが、たった一機にあれ程まで翻弄されたことはありません。あれが要塞に配置されていたら、或いはもっと早く増援に駆けつられていたら、結果がどうであったか分かりません。」 「なるほどな。」  ブレイズの話は、まさにバートレットが気になっていることでもあった。  クルイーク要塞陥落後、サンド島部隊はユークのスパイであったとして処分されたことになっている。オーシア軍がシーニグラードまで攻めきれずに撤退したことは、サンド島部隊を失ったことで士気が下がってしまったことが大きな要因だが、ユーク軍航空部隊による被害が大きいことも重なっている。この時の航空部隊の一機が目覚ましい活躍をしたと言われているのだ。  バートレットがこのことをブレイズに告げると、ブレイズの顔つきが心なしか硬くなったように見えた。オヴニル、グラーバク以外にも腕利きが居ることは間違いない。 「エッジは、平和な空で一緒に飛べたらどんなに良いかと言っていました。それは同感です。しかし、敵としてまみえるようになるとこれはかなり厄介だと…。こんなことを聞くのもどうかとは思いますが、少佐は何かご存じありませんか」 「そいつぁ俺もちょっと引っ掛かってるんだ。それだけの腕っこきなら何か聞こえてきそうなもんだが、要塞絡みの戦闘以外じゃそれも無え。」 「私の情報が役に立つかどうかは分からないわよ?」 「まあ、聞いたところでどうなるかは分からねえがな。その話しっぷりだと、何かしらの情報は持ってんだろ? 聞かせてやってくれねえか。」 「それは構わないけど…」  ナスターシャは手にした厚いファイルの中から、該当する情報を探し出す。  彼女の話は、内容としては大して役立ちそうにもなかった。  『彼』が傭兵であること、飛行技術が優れていること、その腕を買われてアグレッサーとしていくつかの基地を回っていたこと、正規兵ではないということで開戦後はクルイーク要塞に関わる戦闘以外には出撃がほとんどないこと、などである。その素性も掴めてはいないらしい。 「何故、素性もわからないような人間を、傭兵として?」 「ユークではベルカ戦争の後、操縦や戦闘の技能向上という名目でアグレッサー隊を組織したのだけれど、その中には、実戦経験がある者がいたほうがいいという理由で傭兵も雇われたのよ。軍の一部からは反対もあったようだけど、それを押し通してしまった。で、実際に航空部隊の技能は向上したと言われているわね。その流れで、技能に優れた人間ならば、その素性は怪しくても軍部は傭兵として契約するようになった、と。」  ブレイズの尤もな疑問に、ナスターシャはそう答えた。 「ところで、あなたは『灰色の男たち』というのは知っているかしら?」 「ええ、親父さん…いや、ビーグル特務少尉から話は聞いたことがあります。」 「それなら話が早いわね。この傭兵によるアグレッサー導入を積極的に進めたのはこの『灰色の男たち』、つまりはベルカの残党。雇った傭兵はその多くがベルカ人であったり、或いは『灰色の男たち』の掲げる理念に感化された人たちで、その素性を隠すためにも念入りな審査は不要だったということね。そしてこれが、オヴニル隊の本当の姿。」 「では、例の『彼』はやはり『灰色の男たち』と関係が?」 「雇った傭兵のすべてが、最初から関係しているわけではなくて、それらとは全く無関係な傭兵もいるわ。後から彼らの理念に感化されたり、金を積まれて彼ら側についた者もいるけれど、ごく一部は彼らの動きと全くリンクしない者もいるの。例の『彼』も、そういう人間の一人ね。尤も、すべての傭兵には何らかの形で『灰色の男たち』が接触はしているし、『彼』にも三度ほどメンバーが接触しているわ。最後に接触してからはずいぶん経つけれど。」 「これまではともかく、これから先はどうなるか分からねえと、そういうことだな。」 「まさにその通りね。だから、私の情報が役に立つとは思えなかったの。」 「違いねえ。」  バートレットはそう言って鼻を鳴らした。 「それともう一つ、『彼』のTACネームはサイファーと呼ばれているそうよ。」 「サイファー、だと?」 「言っておくけど、これ以上はあなたの質問に答えられる情報は無いわよ。」  まるで次の質問が分かっているかのように、ナスターシャはバートレットの言葉を遮った。ブレイズには二人の話が見えず、怪訝な顔をしている。 「ブービー、お前はベルカ戦争中の、ウスティオの傭兵の話は知ってるか?」  ブレイズの表情に気付いたバートレットが、彼が問うより先に訊いた。 「ええ、テレビで観たものならですけど、確か『円卓の鬼神』でしたっけ。何度か再放送もありましたし。」 「そいつだよ。その円卓の鬼神のTACネームがサイファーというのさ。」  バートレットがベルカ戦争を戦っていたことは、ブレイズとて知っている。円卓での戦闘経験があることや親父さんとの関係も本人から聞いている。円卓の鬼神との関わりを持っていても不思議ではない。 「クルイーク要塞でのそいつの機動を、お前はどう見たのか聞きてえ。」 「何と言っていいのか…他とは全く違って、捉えどころがないというしかありません。オヴニルもグラーバクも、機動はとても鋭いものでしたが、ある種の癖というか、独特のリズムのようなものは感じました。それが全く感じられない機動でしたね。」 「あいつもそんな感じだったがな…。」  バートレットは独り言ちた。 「まあ、『この』サイファーが『あの』サイファーなら、あっちにつくことは無えんだろうが、如何せんこれだけの情報じゃ分かりゃしねえか。」 「どういうことです?」 「円卓の鬼神は、思想に転ぶようなタイプじゃねえってことさ。周りに何があっても信念を貫くような奴だからな。だが、そうだと判断するにゃ材料が足りなすぎる。」  そう言うと、バートレットは背もたれからゆっくりと体を起こした。分からないことで時間を浪費しても仕方がない。 「お前のお悩みを解決してやれなくて残念だが、判断がつかねえものはどうしようもねえ。そいつを飲み干したらさっさと寝ちまえ。時が来れば、いやでも立ち向かうことになるんだからな。」 「そうすることにします。」  そう返事をする顔には、迷いは無いようだった。一気にグラスを干すと、ブレイズは軽く会釈をしてラウンジを後にした。  ブレイズの背中を見送ると、バートレットも氷で薄まったグラスの中身を流し込む。 「あなたの秘蔵っ子、頼もしいわね。」 「当たり前だ、なんてったって俺の秘蔵っ子だからな。」  バートレットはそう言ってにやりと笑うと、ゆっくりと立ち上がった。