めいめい自分の立ち位置からでも。  同じ景色に臨めるように。  同じ場所を、望みたいと願う。  Blowback 27  日常への復帰  スノーはLSOプラットフォームにいた。パイロットスーツを着用しているが、いまのスノーは操縦する側ではなく、見る側だった。  機体の接近と共に轟音が響く。着艦中止であるボルターを出されること無くデッキ後端のランプを越えた機体は、暴れ馬を引き戻すようなワイヤーの力によって、ギアから白煙を上げて停止した。 「大したもんだ」  LSO士官であるクリフォード大尉の感嘆に、スノーも頷く。 「確かにな。第三ワイヤーを引っ掛けている」  どれでも構わないが、第一、第二ワイヤーを高度が低いときの保険、第四ワイヤーを高度が高いときの保険として、第三ワイヤーを狙ってくるのが基本だ。となれば、狙った通りのワイヤーに当てる方が上等である。 「さて、次は噂のエースと模擬戦だ。ソーズマン選手、自信のほどは?」  ノリノリでインタビュアーの真似事をするクリフォードに、スノーは軽く肩を竦める。 「相手が神でもない限り、勝機はあるさ」 「その意気だ。行って来い」  熟練のエビエーターでもあったクリフォードの言葉に、スノーは頷いて自機へと歩き出す。  空母デッキは広い。置くだけならばかなりの機体を置けるが、オペレーションではたいてい数十機が露出する位置に置かれる。ハンドラーが燃料補給や確認整備などの時間を管理しての結果だが、航空団のいない現在では、開店休業中である。アイランド一階にあるハンドラー・ルームも、オペレーション時とはまったく違い、こちらを眺めている者がちらほら見える。  機体の足元には、整備のクリス・ブラウン中尉がいた。機付き整備であり、整備を示すシャツの色は……茶色である。 「ようブラウン」 「ようソーズマン殿。調子はどうです?」 「まずまずだ。お前もきちんと洗濯してもらってるみたいだな?」  シャツに話しかけると、ブラウンは手で嘴のような動作をしながら言った。 「だがよう、ベストの奴は潮まみれのまんまなんだ。これじゃあすぐに俺っちも潮まみれだぜ」 「なぁに、かえって免疫がつく。……で、機体の調子はどうだ?」 「もちろん絶好調、まずまずのエビエーターを乗せるのは勿体無いであります」  スノーは両手を挙げて降参した。 「俺が悪かった。絶好調の機体で、エースを刺してくるよ」 「エースの機体も絶好調であります。おまけに相手は負傷中であります。それで負けたら純粋に実力差であります」  ブラウンの頭を小突いて、機体へ乗り込む。乗り慣れたトムキャットではなく、スーパーホーネットだ。前身であるホーネットへの機種転換訓練を行ったことはあるが、コックピット内は様変わりしている。機動に関してはこちらに利があるが、グラスコックピットへの切り替えで言えばイーブンといったところだろう。  ――あとは……。  相手は、負傷中だ。作戦に支障が無い程度とはいえ、スノーにもプライドはある。昨日今日の相手に負けたとあっては、エビエーターの名が廃るというものだ。  キャノピを閉じると、整備員の合図がくる。エンジン始動のそれに、スノーは第一エンジンを始動させた。問題無く点火し、計器も正常値であることを示すと第二エンジンスタートの合図が来た。こちらも正常値で、すぐに拘束チェーンを外すための人員が機体下部に入っていった。  揺れる空母では必然とはいえ、スノーはこの瞬間が一番恐ろしい。なにか機体にトラブルがあれば、死ぬのは自分だけではない、作業員たちもだ。 「頼むぜ、神様」  時間にして数十秒だろう。チェーンを担いだ整備員が出て行き、黄色いシャツの誘導員が機体の前に立った。 「サンキュー神様」  誘導に合わせ、カタパルトまでタキシングする。狭い空母でその距離は短いが、精密さは群を抜くだろう。  静止の合図で、機体を止める。今度は緑のシャツを着たカタパルト操作員が機体下部に潜り込み、カタパルト装着を確認するのだ。 「以下略」  ふざけて呟いたスノーは操作員が出て行くのと、出力アップの合図を見た。エンジン出力を上げていく。  そして黄色いシャツを着たシューターのGOサインと共に、機体が疾走した。  ――ああ。  この瞬間に見る光景を、スノーは誰にも言ったことがない。初めて灰色の甲板を捨て去った瞬間、スノーはスノー自身をも捨てた気がした。それはいまも変わらぬ印象で、地上の滑走路では絶対に味わえない瞬間だと思っている。  旋回機動に入り、アングルドデッキの射出準備を見て、『ソーズマン』は胸の高鳴りを覚えた。 「仲間と飛ぶ空は、いいものだ」  こんなにも、楽しく思える。  ナガセは機種転換にデッキオペレーションの予備訓練と、ハードなスケジュールを終え、グリムと共に地上格納庫へと向かっていた。拿捕された貨物船のコンテナが開き、新型機が陸揚げされたらしいのだ。  ただナガセにとって、その新型機と一足先にいるらしいというブレイズの存在、どちらが大きいのか微妙になりつつもあある。 「グランダー社の新型って、どんなのでしょうね」 「そうね。ライセンス品を見る限り、製造技術は高いようだけど」  オリジナルの開発は、あまり聞かない。というより、開発を制限されているのではなかっただろうか。 「お邪魔しまーす」  友達の家に上がり込むようなグリムに吹き出すのを堪えつつ、ナガセも格納庫に入った。その途端、目の覚めるような赤が視界に映り込む。  赤の全貌を収めると、ナガセは思わず息を呑んだ。一拍遅れ、グリムも感嘆の声を上げる。 「わぁ……!」  それは凡そ、想像し得ない機体だった。  嘴のように尖った機首、F-117のように鋭角で構成されたパーツ、そしてなにより。 「キャノピーが無いですよ!」 「無人機なのかしら」  だがそれなら、そう伝わるだろう。ナガセが首を傾げていると、あ、とグリムが声を上げた。 「スノー大尉!」  見ると、スノーは機首側のギアから回り込んで来たところだった。こちらに気づき、手を振ってやって来る。 「ようグリム。ナガセ大尉も。デッキオペレーションはどうだった?」 「汗びっしょりになりました。あんな大きい空母なのに、狙うとほんと小さくて……」 「次の作戦は、地上基地からの発進になりそうです。念のため、ですけど」  ところで、とナガセは言を継ぐ。 「ブレイズは、一緒ではなかったんですか?」 「いや、一緒だったさ。模擬戦でやりあった後ここに来たんだが、いまはあっちだ」  親指を立てて指す先は、格納庫の中にある詰め所らしき窓だ。よく見ると、見慣れた黒髪がデスクに向かっている。 「マニュアルの翻訳中だ」 「マニュアルの、ですか?」  ナガセの問いに、スノーは腕を組んで頷く。 「全編ベルカ語、もう一つのもユーク語でな。さっきまで、ブレイズがマニュアル片手に操作しながら、整備にいろいろ教えてたんだ。いまは、重要な箇所を抜粋してる」  グリムが新型機にご執心なので、ナガセは一人で詰め所に向かうことにした。背後の興奮した声に微笑しつつ、ドアをノックして顔を覗かせる。 「ブレイズ?」 「ナガセか」  パソコンから目を離したブレイズが促したので、詰め所に滑り込む。 「デッキオペレーションはどうだった?」 「地上で予行演習をしてから着艦したけど、二回ボルターサインが出たわ。グリムは四回」 「最終的に可能になればいい。次の任務では、地上基地からの発進が可能だ」 「念のため、そっちの案になりそう。でも、機種転換は終了できたわ」  そうか、とブレイズは頷いた。 「ご苦労だった。今日はゆっくり休め」 「あなたも、少し休まないと」  そう返すと、ブレイズは僅かに首を傾けた。 「俺は機種転換はやってないし、デッキオペレーションも発着一回しかやってない」 「でも、別の仕事をしてるでしょう? いまだって」 「大した労力じゃない。片手間だ」 「……なら、いいけど」  ブレイズがなにをしているのか、ナガセはほとんど知らない。だが踏み込むには、躊躇がある。昨夜、ナガセを通り越してなにを見ていたのか。そしてナガセ自身は、それをどう思ったのか。深く考えるのが、少し怖い。 「――新型機は、どんな感じなの? 見た目はずいぶん奇抜だけど」 「最新技術の粋を凝らしてるな。これが、スペック表だ」  手渡された書類は、どうやら翻訳済みらしい。ざっと目を通して、その目を疑った。 「戦術レーザーに……COFFINシステム?」 「見ての通り、風防が無い。棺桶のように塞がれていることに由来するんだろう。死ぬにはちょうどいい」  ブレイズはいつものように無表情で、ジョークなのか本気なのか掴めない。だがジョークだとしても、ナガセは笑えなかっただろう。ブレイズは、冗談だって本気なのだ。  ネガティブな思考を払うように、次の質問を放つ。 「内装は、どうなっているの?」 「SFの世界だな。外側に着けたカメラで全方位を撮影し、内側に投影する。理論上、死角がない」 「本当にSFね……。乗るつもり?」 「信頼性がわからないから、乗らない。それに恐らく、これは完成ではなく、過渡期のものだ」  ナガセは首を捻った。 「過渡期、なの? なぜそうと?」 「アビオニクスが、従来品なんだ」  正確には、従来の発展型らしい。OSで例えると同じOSをアップグレードさせるか新規で作るかの違いで、アビオニクスは前者、機体は後者になるそうだ。 「インターフェースはグラスコックピット系の発展型だが、データリンク機能に余裕がある。だがアビオニクスにその余裕分を使うものはない」 「つまり……更に発展させるつもりで、それはアビオニクスの部分だろう、ってこと?」 「その通りだ」  ナガセは、改めてブレイズを見た。  この人は、なんなのだろう。マニュアルを翻訳できるほどベルカ語に、航空機に精通していて、基地守備兵を相手に陽動・撹乱を成功させたエースパイロット。なにがなんだか、わからない。 「ナガセ、どうかしたか?」  僅かに眉を詰めた――いまでは気遣ってるとわかる――ブレイズの言葉に、いえ、と首を振っておく。 「どうも。ただ、ずいぶん詳しいと思って」 「少しかじった程度だ。馴染みがないから、そう思うんだろう」 「そうかしら」 「そうだ」 「そういうことに、しておくわ」  慣れていないというのは、当たっている。そもそも、ナガセは専門教育機関たる大学を出ていない。空軍大学校の主催するジュニアプログラムを経ているため、階級と給料で同経歴の同期より優遇されているのだ。  ――けど。  ブレイズは違うだろう、とナガセは思う。知識の広さと深さが、付け焼き刃や特化型ではない。広く深く、そして有機的に結合している。  それは恐らく、『知性』と呼ばれるものだ。それをたゆまず、妥協無しに磨き上げてきた人なのだろう。 「新型機に乗ってみるか? COFFINシステムは起動できる」 「いいわね。見てみたいわ」  そこに感じるのは溝だろうか、とナガセは考える。わかり合えないと嘆く類いのものだろうか。  ――違う。  なぜなら、そんなことは関係ないからだ。共に戦い、喪い、放逐された。戦友としては、それだけで充分。守るべき一番機としても。  だから、いま『遠い』と――『一番機』という言葉にも――寂しさを感じるのは、ただナガセ自身の感性が変化したためだ。変化が無視できないほどになった、というのが正しいかもしれない。 「ブレイズ」  ドアノブに手を掛けていたブレイズは、動きを止めて、ナガセを見た。 「どうした」  真っ直ぐ見つめてくる瞳に安堵し、ナガセは口を開く。 「傷の具合は、どう?」 「問題ない。大丈夫だ」  他愛の無い会話に逃げたのか、他愛の無い会話を成功させたのか。  それは、ナガセ自身にもわからなかった。  空母の甲板で、おやじさんはアンダーセン艦長と共にいた。パイロットたちの訓練は終了し、背後の甲板ではカークとグリムがじゃれ合い、ハーモニカの音色が響く。 「良い時間ですね、海の上というのは」 「はい。私も好きな時間です」  おやじさんは、先ほどまでアンドロメダにいた。アンドロメダは通信艦で、今回ケストレルがこの役目を担ったのも、この艦がベルカ語の秘密通信を傍受したからだ。その解読のため、ケストレルに呼ばれたという経緯もあったらしい。 「大佐、暗号が解けたとのことでしたが」 「ええ。大した硬さではありませんでした」  暗号には二種類ある。数学的なものと、『符丁』を使うものだ。前者は置換式――例えばAをC、BをDと読むといった――など法則性のあるもので、原始的なものは単純なので総当たりで試せば破れないこともないが、現代の因数分解の性質を応用したものなどは鉄壁だ。この場合、正面から解くのではなく『鍵』を奪う方法がよく使われる。つまり、解読するためのツールを奪うのだ。  対して後者の場合、これは暗喩や隠語といったものを使うため、知らなければどうにもならない。逆に言えば知る者にはわかるため、普遍的な硬さを持っているわけではない。  今回の暗号は、この両者の組み合わせだった。前者は密輸船の乗員に『協力』してもらい、クリア。後者がおやじさんの仕事となる。 「彼らは、懐古主義者のようですね」  そう苦笑した理由は、『符丁』が昔と大して変わっていないからだった。完全に解読できるわけではないが、それは『協力』を得ればよいだけのことだ。すべての解読を任せるにはやや信頼性に欠けるから、文脈を把握しつつ欠けた部分を補う程度がちょうど良い。 「大方の解読は出来ました。こちらです」  アンダーセン艦長に紙片を渡すと、小さく呟いた。 「シュティーア、いや、スタイアー城ですな」 「はい。恐らく、そこに大統領がいるものと」  ふむ、と難しそうな顔に、おやじさんも胸中で首肯する。シュティーア城はベルカ国内、つまり越境作戦だ。ラーズグリーズ海峡での作戦もそうだったが、今回は万全なバックアップがあった上に内戦中で混乱続きのエストバキア沖ではなく、健全な防衛状態のベルカだ。また、バックアップを得られる由も無い。  だがアンダーセン艦長が口にしたのは、まったく別のことだった。 「大佐。あなたにとっては、祖国に刃を向けることになります」  おやじさんは、小さな驚きを得た。そして、その心遣いに感謝した。 「私は前の戦争が終わる頃、自国に核兵器を落とす役目を仰せつかりました」  アンダーセン艦長は口を挟まず、静かに海を見ている。 「命令を拒否して脱走した私を拾ってくれたのが、バートレット大尉です。『ブービー』というのは、当時の彼のあだ名だった。以来、私と共に十五年間昇進しておりません。私自身も特務少尉という階級におります。しかし艦長」  おやじさんは、堂々と告げた。 「私は祖国に弓引く輩を殴り倒すことに、些かの痛痒も、後悔もありませんでした。それは今日においても、変わることはありません。このような時代遅れの陰謀は、なんら祖国のためにならない」 「……あなたは誇りを知っておられる方だ、大佐」  そう呟くと、こちらに視線を戻して続ける。 「ケストレルが航空作戦を行うには、指揮を執る者が必要です。出来ることなら大佐、あなたにお願いしたい」  背後でグリムがカークとじゃれる声を聞きながら、おやじさんは微笑んだ。 「激しい飛行は身体に堪えます。これからは――」  振り向くと、カークがグリムに慌てて止められているところだった。その光景に微笑しながら、大切なものを扱うように続ける。 「彼らの時代です」  昼間の機種転換は、時代錯誤にも『身体で覚える』ものに近かった。というのも、座学を万全にしてシミュレーターを経て、などという悠長な状況ではないからだ。マニュアルを各自で読み込み、あとは充分な注意を払って実践するしかない。  だが、機種転換それ自体は、グリムにとってそう大変なものではなかった。グラスコックピットと相性が良かったのかもしれない。しかしそれと飛行技術に関わる機体の『癖』のようなものは別で、戦闘機動を伴わない慣熟飛行で完全かと言われると、唸るしかない。  ――それにしても。  隣を歩くナガセを、感嘆の想いで見つめる。  ナガセは、今日も完璧だった。なにしろ、スーパーホーネット独特の感覚に四苦八苦するグリムに、助言を与える余裕まであった。もちろん、着艦の予備訓練結果も、である。 「そういえば、ナガセさん」 「なに?」  溜息の出る思考から抜け出るための話題に、ナガセはごく普通に応じてくれた。 「けっきょく隊長とスノー大尉、どっちが勝ったんでしょうね。俺、訊きそびれちゃって」 「……どうなのかしらね」  ナガセは少し躊躇ったようだが、グリムは特に気に留めなかった。先任であるスノー大尉に遠慮しているのだろう、と勝手に想像する。 「条件で言ったら、隊長が不利ですよね。負傷してますし」 「けど、敵は容赦しないわ。むしろ弱点を正確に突いてくる」  それは訓練でも同じだろう、と二人とも考えていた。というより、二人ともそうなのである。相手が負傷していたからといって、それが戦闘機に乗れる程度で、さらに空に上がってきたのなら手加減する理由が無い。それこそ、新人訓練などの限定的な場合だろう。 「次の作戦には……参加するんでしょうか」 「すると思うわ。そうでなければ、今日も静養してると思うし」  考えて見ると、昨夜のアンダーセン艦長からのブリーフィング以来、ブレイズとは訓練前にちょろっとしか顔を合わせていないのである。そのときもろくに会話が出来なかったため、ずいぶん話していない気がする。それは少し、寂しいグリムである。  ちょうど話題に区切りがついたところで、教えられた待機室が見えてきた。 「あ、ここですね」  グリムが初めて足を踏み入れた飛行隊の控え室は、やはり空母であるためか手狭に見えた。だが雑然としているわけではなく、こまめな掃除が窺える。 「よう、お疲れさん」 「スノー大尉」 「お疲れ様です」  先に入っていたスノーは、一番前の席にラフな姿勢で腰掛けていた。手招きされ、二人とも席に就く。パイプ椅子などではなく、設えもしっかりした大型のリクライニングシートだ。椅子一つ取ってもサンド島とは違いがあり、グリム部屋中を観察する。  特に目を引くのは、壁に掛けられた無数のフックだ。上着掛けのようにしっかりした造りだが、二段に整列しているということはまた別の用途なのだろう。その上にはなにかが長い間貼られていたようで、壁の色が長方形に違っている。 「ああ、揃っているね」  そう言いながら入ってきたのは、おやじさんとブレイズだった。訓練前にちょろっと顔を合わせた程度のブレイズは、軽く手を上げてスノーの隣に座った。左からスノー、ブレイズ、通路を挟んでグリム、ナガセという並びだ。これが、最も中央寄りになる。 「航空団司令の席が空いているため、異存が無ければ私が航空作戦の指揮を執らせて頂く」  主にスノーに向けたであろうセリフは、軽い敬礼で応じられた。おやじさんも軽く頷いて、ブリーフィングを始める。そして、軽い調子のまま爆弾を投下した。 「ベルカ公国領内において、大統領救出作戦を実施する」  緊張が走る。少なくとも、グリムは緊張した。  ――ベルカ公国領。  それは、リムファクシのときと同じく、越境作戦だ。しかもE-767といった支援機も無い。だがそういった不安に構わず、ブリーフィングは進んでいく。 「通信情報艦アンドロメダが、ハーリング大統領がベルカに囚われているとの情報を傍受した。場所はベルカとノースオーシアの国境地帯に位置する古城、シュティーア城だ」  グリムは、記憶の底からその名前を引っ張り出した。確か大昔、ベルカが帝国だったころに皇帝が住んでいたとかだった気がする。 「――作戦は潜入部隊を先発させ、隠密裏に大統領を捜索。その後、ヘリ部隊によって陽動及び潜入部隊を回収するというのが大まかな流れだ。地上戦闘は、シー・ゴブリン。目標地点の安全確保の後、城にヘリが降下、回収部隊を降ろす。地上および城内での救出作戦展開中、ヘリは上空で待機する。救出作戦を妨害する敵勢力の鎮圧、シー・ゴブリンの援護が航空隊の任務だ。作戦開始は、明日1600時とする」  それから、とおやじさんは続けた。 「部隊の編成は隊長機をブレイズ、二番機をエッジ、三番機をソーズマン、四番機をアーチャーとする。隊長就任については、決定者・候補者、両人の間で話はついている。質問は受け付けない」  特に、異論は無かった。グリムもそうだし、周囲の雰囲気もだ。他の三人が事前に聞かされていたかはわからないが、動じた様子は無い。 「気象条件などの詳細はこちらに記してある。隊内ブリーフィングで確認するように。では、解散」  おやじさんはブレイズにクリップボードを渡すと、すぐに出て行ってしまった。いろいろあるのだろう。それよりもいまは、ブレイズとスノーの様子が気になる。  グリムはブレイズが立ち上がるのを予想していたが、意外にも立ったのはその隣だった。 「ブリーフィングの前に、ちょっとやっておきたいことがある」  スノーだった。ブレイズは特に咎めることなく、促す。スノーは感謝するように、小さく会釈した。 「これは空母所属飛行隊に伝わる、伝統的な儀式だ」  そう口を開いたスノーに、グリムは瞬時に興味津々となった。 「飛行隊には代々、受け継がれた役目がある」  スノーは重々しく、力強く告げる。 「俺はその役目を……グリムに任せようと思う」 「……え?」  思わず洩れた間抜けな呟きに構わす、スノーは真剣な目を向けてくる。思わず周囲に助けを求めたグリムは、ナガセからはナチュラルに視線を外され、ブレイズからは逆に視線を合わせられて逸らしてしまう。逸らした先では、スノーがグリムの肩に両手を乗せ、威厳たっぷりに告げていた。 「ハンス・グリム特務准尉。貴官をコーヒーメス・オフィサーに任命する。命に代えても、コーヒー豆を切らすな」 「は、……はい?」  二度目の間抜けな声に、笑いが響いた。一つは目の前にいるスノー、もう一つはくすりと微笑したナガセのものだ。それが大爆笑でなかったことに慰められる。ブレイズが笑わないのは、いつものことなので意識の外だ。 「すまんすまん、そう怒るな。こいつは本当のことでな」  スノーはまだ笑いの余韻を残しながら、コーヒーメーカーを指す。 「空母飛行隊にインスタントなんてもってのほかだ。だからコーヒーの管理人が任命されたんだ。代々、隊のルーキーにな」  なぜもってのほかなのか、を聞かないぐらいには成長したグリムである。生真面目な表情を作って、敬礼した。 「若輩者ではありますが、小官の全力を尽くさせて頂きますっ!」  半ばヤケクソで言うと、スノーがやんややんやと拍手し、ブレイズとナガセも柔らかな拍手を送ってくれた。 「人数分のマグカップも用意するから、もう少し待っててくれ」  そう言って、スノーはブレイズに視線を合わせる。 「すまない、海の流儀に付き合わせて」 「もういいのか?」 「ああ。……ありがとう」  想いのこもった礼をいつものように受け止めたブレイズは、クリップボードを手に、入れ替わるように立ち上がった。 「では、ブリーフィングを始める」  その声はいつも通りグリムに真剣さを命令するもので、その声を待ちわびていたのだと、グリムは自覚した。  夕刻のカーウィン島は、けぶるような美しさだった。サンド島の鮮やかさとは違う、儚いような美しさだ。  ――綺麗。  ファンテイルは、ナガセのお気に入りとなっていた。時間によって喫煙所にもなるらしいが、非喫煙者のナガセですら紫煙の美しさを発見してしまうような、そんな空間だ。 「これが『ワサビ』ってやつかな、ナガセ」 「侘び寂びでしょ。……どうかしらね」  たまたま喫煙に来ていたダンカンのように、ナガセにオリエンタル文化の質問を投げる者は多い。だがオーシア生まれのオーシア育ちであるナガセのメンタリティはオーシア人そのもので、それが昔はコンプレックスであった。ベルカ語を話せないベルカ人はこんな気持ちだろう、と勝手に思う。 「おう、"Q.E.D"」  ダンカンの言葉に振り向くと、ブレイズが立っていた。いつの間に手に入れたのか、海軍のワッペン入りキャップを被っている。 「シー・ゴブリンに、ナガセか。偶然だな」  不意にナガセは、昨夜のことを思い出した。言えなかった『ありがとう』と、告げられなかった『なにか』に、言葉が出てこない。格納庫と違って、話の種もない。だがダンカンはなにを勘違いしたのか、『それじゃ邪魔者はこれで』などと言いながら、煙草を消して去ってしまう。  沈黙が降りた。ブレイズは沈黙にも、いつも通りの表情でナガセの横に立つ。『隣』でもなく避けたわけでもなく、単純に、他人のパーソナルスペースを尊重したような距離。 「……なぜ、『証明終了』なの?」  どうにか話題を絞り出すと、ブレイズは海に向けていた視線をこちらに向けて答えた。 「捕虜奪還作戦のとき、五分持ち堪えろと言ったら、絶対だなと念を押された。そのとき五分後に証明する、と言ったからだろう。それと素早い殲滅、乗機のイーグルの頭文字を合わせて『QuickEagleDeath』だそうだ」 「無理やりね」 「俺もそう思う。だが、そういうものだそうだ」  ブレイズの受け答えは滑らかで、ナガセはそこに活路を見出した。このまま日常的な話題で、このぎこちなさを流してしまえばいい。 「今回は、私と対地ね。配置には、なにか理由があるの?」  シュティーア城での作戦は対地対空、両面に気を配ることになっている。そういった作戦はいままでもあったが、ナガセはたいていグリムと共に対空、ブレイズとチョッパーが対地だった。それが、最も効率よい組み合わせだったとも思う。 「スノー大尉の空戦技術が良かった。隊長職にあった人だから、グリムと組ませても上手くカバーするだろう。本人にも打診して、対地より対空が得意だと聞いている」 「そうだったの」 「いままでは個人の適性を伸ばす配置もしたが、これからは部隊の弱点を補う配置のみとなる。グリムの対地はまだ未熟だし、スノー大尉は自己申告があるとはいえ、未知数だ。今回は、ナガセに頼みたい」 「わかったわ。……グリムの空戦は、どんどん良くなってるしね」  恐らく、グリムとナガセの違いは、経験の差だ。それが縮まれば、グリムは大きく化けるだろう。 「将来が、……」  楽しみだわ、と言おうとして、ナガセは口を噤んだ。  この陰謀を打ち砕き、終戦を迎えられたとして、飛び続けられるだろうか。そう、考えてしまった。 「ナガセ」  柔らかな声に、沈んでいた思考を掬われる。ナガセは軽く頭を振った。 「ごめんなさい。ちょっと、ネガティブになってるみたい。……パイロットを続けられるのか、って考えちゃって」 「本当に飛びたいなら、傭兵になればいい。仕事も選べる」  そう答え、ブレイズは軽く首を傾ける。 「ナガセは、オーシアで飛びたいのか?」 「私は……」  考えたことが、なかった。ナガセはオーシア国民で、父はオーシア軍で飛び、母はオーシアに住んでいる。そんなナガセがパイロットになる道は、国軍以外に考えなかった。  そして、それでいいと思う。少なくとも、傭兵にいま以上の魅力は感じない。 「……あなたは?」  そう問い返すと、ブレイズは意外な答えをした。 「四年前なら、続けたかったかもしれない。だがいまは、どちらでもいい。もともと、空に執着はしていない」 「そう、なの?」  ブレイズの技術は、素晴らしい。大げさな表現は嫌いだが、神業と言っても過言ではないだろう。それを磨いてきた努力や、垣間見える強固な信念などはパイロット、もしくは空に執着するからこそと思っていたのだ。 「空でもパイロットでもなく、ただそこにいる人に惹かれてた。だからパイロットを続け、求められたから、ここに居続けた」  あ、とナガセは、心臓に嫌な浮遊感を感じる。鼓動のたびにぞくりと悪寒がするような、そんな感覚。  ――瞳が。  ブレイズの、内に沈み込むようなそれは、きっと。 「それも、昔の話だ。いまは自分が居るこの場所で、全力を尽くす」  そう言ったブレイズは、既に『戻って』きていた。  そう、確かにブレイズは、ここにいなかった。ほんの数秒であっても。 「――ああ、すまない、話し込んでしまったな」  時計を見るブレイズにつられて時刻を確認すると、既に夕食の二十分前だった。行くか、とブレイズは促すように首を傾ける。 「そうね、行きましょう」  踵を返した背を見ながら、ナガセは思う。ブレイズを空に留めた人は、どんな人物なのだろう。  以前見たブレイズの『指輪』を思い出したのは、そんなときだった。  空母から降りるためのタラップに行くと、地上基地を整備員らしきつなぎ姿の男と、新たに基地のメンバーとなった黒いラブラドールが横切っていた。行き先は同じ、格納庫らしい。  ――犬を飼ってやろう。  不意に、そう思う。ラブラドールの、子犬を。 「なあブレイズ」  背後を歩く年下の部隊長に振り向くと、模擬戦でいいようにあしらってくれたブレイズは、なんでもないような顔をして首を傾けた。 「なにか?」 「犬は好きか?」 「はい」 「飼ったことは?」 「一度だけ」  そうか、とスノーは頷く。 「犬はいい。忠実で、賢く、そして優しい」  そして、子供とラブラドールが遊んでいる姿を思い浮かべた。むっちりとした尻尾を振って、子供とじゃれ合うだろう。きっと。 「……戦争が終わったら、飼ってやろうと思う」 「そうですか」 「ああ。……いやでも、小型犬のほうがいいだろうか。人間のほうが、成長は遅いしな」 「子供のいる家庭では、犬の頑丈さを考えたほうがいいです。力の差は、訓練所できちんと躾をすれば問題ないかと」 「なるほど」  自分はこんなに喋る男だっただろうか、とスノーは自問する。どこかで『沈黙は金じゃないのかー』という声が聞こえた気がしたので、煩い、と答えておいた。相手が寡黙すぎると、こちらが口を開いてしまうのである。 「あー、ブレイズ。歳は?」 「二十六です」 「家庭はあるのか?」 「ありません。親兄弟もないので、身軽です」 「すまない。悪いことを聞いた」 「昔のことです。心情の整理はついています」  その横顔に感情の波は窺えず――見抜けないだけかもしれないが――、恐らく既にろ過された感情なのだろう。 「家庭が無いのは、いいことかも知れんな。この稼業は、自分はともかく家族にも負担が大きい」  スノーは別れた妻を思い出した。憎みあったわけではなく、ただ互いに、頭を下げ合った。実質的な慰謝料はほとんど無かったし、スノーはいまも生活費を分担している。面会権も『ご自由に』状態だ。ひょっとしたら、一緒に暮らしさえするかもしれない。  だからこそ、この稼業で結婚した自分に責任を感じる。自分の帰りを待って神経をすり減らす彼女を気遣ってやれなかったことを、後悔している。 「サンド島のパイロットに、既婚者はほとんでいませんでした。年齢層が若かったのもあるでしょうが、離婚者もいたと思います」 「その奥さんは賢いな」 「憎み合う前に別れたのなら、そうでしょう。傷つける前に離れるなら、それは相手を想うからです」  驚いてブレイズの横顔を見つめ直すと、首を傾げられた。 「なにか?」 「あ、ああ、すまない。なんというか、君は、感情的にならないように思えてな。いつも冷静沈着、クールなイメージだ」  本当は『まったく関心がなさそう』ぐらいには思っていたが、さすがにそれは正直すぎる感想だろう。いや、これだって充分、穿った見方は出来る。  だがブレイズはまったく気にしていないようで――だからこそ先の感想につながるのだが――、淡々と応じた。 「戦争を起こすのは、人間が感情を持っているからでしょう。俺も立派に、戦争の一端を担う『人間』です」 「人間の業、ということか」 「そういう見方もあります」  ですが、と言を接ぐ。 「それでも俺は、人間が好きです」  なるほど、とスノーは理解した。正直なところ、指揮や実力以上に、ブレイズを隊長たらしめるものは無いと思っていたのだ。だがいま、この言葉を聞いて考えを覆す。  そして、惹かれた。愛国心や、家族を守りたいというミクロの視点で軍人になったスノーにとって、『人間』というミクロとマクロ、両方を併せ持つ視点と思想は、とても新鮮だった。それをさらりと言ってしまうブレイズの人となりも、好ましい。 「――ケイ・ナガセやグリムは、あんたのその信念に、惹かれてるんだな」  するとブレイズはほんの僅かに目を瞠り、それから考えるような表情をした。 「俺は、信念というものが自分の内面でどういった動きをするのか、よく理解していません。わからないものを持っているとも思わない。持っているなら、ここにはいなかったでしょう。――だというのに、他人からはよく、信念の所在について指摘される」 「そりゃあ、仕方ないだろう。賢しらげに『俺は信念を持って行動している』なんて言う輩より、黙々と仕事するヤツのほうが、信用できるもんさ」  答えつつ、スノーは意外さに目を細める。どう見たって、ブレイズは固い信念を持っているように見えるだろう。そうでなければ、ここにいないはずだ。なのに、本人はそれと逆のことを言う。  ――矛盾。  思い浮かべ、すぐに打ち消す。矛盾というより、二律背反だ。そしてどっちも正しい。相反する二つが、仲良く手を繋いで同居している。そんなイメージだ。 「……なあブレイズ」 「なんでしょう」 「ウチの部隊は、礼儀のなってないヤツが多くてな。隊長に敬語を使われると、痒くてたまらんのだが」  そう伝えると、ブレイズはわかった、と答えた。 「では、いつも通りにやろう」 「いい切り替えだ」  笑いながら、スノーは再び目を細める。胸の内に、なにかが噛み合わさったような感覚が生まれていた。  ――見届けよう。  軍の機構としてでも、愛国心とそれを補強する俸給のためでもない、マーカス・スノー個人の意志として。  この戦争の行く先を、この二律背反の男の傍らで、見届けたい。そう思ったのだ。