男は困っていた。 このままでは多くの仲間たちが不満を感じ始めるだろう。その結果は明らかだ。混乱、暴動、そして敗北だ。 それだけ自分に課せられた責務は重要な役割を担っていると断言できる。何も武器を手にドンパチするだけが戦争ではないのだ。 男の名はモリス・デンバー、ここサンド島基地の台所を預かる炊飯長である。先日の空襲で料理人の命とも言える腕を負傷し、満足に調理もできなくなってしまった。 幸い怪我自体は大したことはなく、数週間で完治すると言われていたが、数日の間は調理器具を持つなとも言われた。 古来より兵士たちの食事は粗末なものが多い。豪勢なディナーに舌鼓を打つぐらいなら、火を消し、耳をすまし、五感、果ては第六感まで使って敵を警戒するべきなのだ。食材は荷物にもなる。ただでさえ大量の武器や兵器を持って行軍する兵士にそれ以上の荷と苦労を背負わせたくないのは優しさではなく、効率と合理の問題だ。 最低限の摂取で最大限の栄養価を得ることができ、尚且つ軽量で安上がり。味など二の次である。そうして開発されたのが、調味料ではなく保存料をふんだんに使用し、外気に触れぬように密閉した保存食、レーションである。その手軽さと利便性により、今日では「缶詰め」として名を変え、スーパーマーケットで売られ、一般家庭に並べられることの方が多くなっている―もちろん、味を改良した上での話だが。 そうした経緯もあってか、いわゆる「おふくろの味」を知る兵士は大抵の場合、軍の食生活に強い不満を感じるようになるのだ。もちろん、毎日がそうというわけではない。休暇には町に繰り出し、酒に女にと日頃の鬱憤を晴らすことができるのだ。が、中には例外もある。 潜水艦乗りがその最たるものだろう。 潜水艦はその名の通り、水中でこそ真価を発揮する。補給のために寄港することはあっても、大抵は水の中だ。兵器であるため、人が生活するためのスペースは最低限、戦闘となれば、致命傷に繋がる騒音を避けるため身動きが制限されることもあるのだ。これは思っている以上に強いストレスとなる。幼少のころにやった「かくれんぼ」を思い出してみるといい。隠れる側は見つけてもらえないと、次第に焦れてくる。オニがいないかと辺りを見回す回数が増え、最後には自分からオニを探しにいくという愚行に走る。こういった行動は、長時間一所に身を隠すという行動に不安や不満、或いは疑問、つまりはストレスを感じることから生じるのだという。これが戦闘中の潜水艦ならば、たちまち撃沈されてしまうことだろう。そこで、食事である。潜水艦には新鮮とは言えないまでも、レーションとは比べるまでもない食材が積まれる。これは潜水艦特有の悪環境を乗り越えてもらうための苦肉の措置なのだ。 温かく美味い食事はそれだけでストレスを解消させることもあるのだ。 だというのに、その美味い食事を作ることができない サンド島は潜水艦ほどではないにしろ自由を制限された島。本島に行くためにはもちろんのこと、戦争が始まった今では電話一本、手紙一通出すためにも許可と検閲が必要で、凝った嗜好品も月一の定期船に頼るしかない。有り体に言って退屈な所なのだ。そんな所に勤務する連中が少しでも気分良く働けるようにと、モリス炊飯長は日々の食事に妥協を許さなかった。資材置き場となっている離れ小島に畑を耕し、野菜を収穫。養鶏場を作り、卵と肉を調達できるようにした。もちろん、こんな無茶が通ったのは異例も異例。モリスは訴えを提出した時、サンド島の司令官がペロー中佐であったことを神と軍に感謝した。新鮮な野菜と肉がもたらす経費削減と士気向上、そして最高の食事の提供。ペロー中佐は体形からも分かるように大食漢で、加えて言うならばグルメでもある。自身の欲求を満たしてくれる魅力的な提案を蹴ることはしなかった。もちろん口説くのは容易ではなかったのだが。 モリスには部下が二人いた。しかし、その二人に自分の代わりに調理を任せる気にはなれなかった。前回の一般人登用の際に人手が足りないからと、しょうがなく雇った二人は基地内の清掃やら備品管理やらの雑務を任されており、その一つとして「調理補助」も挙げられるだけなのだ。コックでもパティシエでもない。言えてウェイター、つまりは素人なのだ。やる気だけは一人前で無碍には出来ないため手伝ってもらってはいるが、彼らに任せられるのは盛り付けや配膳程度だ。 「どうしたものか。」 そんな折、食堂から話し声が聞こえてきた。モリスは首を傾げた。誰かが朝食を食べにきたには早すぎる。畑と鶏の様子を見に行かせた部下二人が戻ってくるのも、まだ二十分は先のはずだ。 はて? 怪訝に思って食堂に出てみると、そこには奇妙な光景が広がっていた。男が三人、気合いの入った顔で並んでいた。整備員が二人と事務員が一人。まるでこれから短距離走でも始めるつもりなのか、手足をほぐしたり軽く跳んだりしている。 「炊飯長。」 そこに四人目が現れた。昨日の空襲からサンド島を守った飛行隊の隊長、ブレイズである。なんと彼はどこから調達してきたのか、エプロンを装備していた。 一時間後、食堂は珍しいモノ見たさの野次馬で賑わっていた。 「モーニングピザあがるよ。」 「スープ出来たぜ。」 厨房ではモリス炊飯長を除く四人の男たちが忙しなく動いていた。 切り、炒め、かき混ぜ、盛る。モリス以外は厨房では初めて見る顔ぶれだったが、誰も人並み以上の料理経験があると分かる。 「ケビンの奴、料理なんかできんのかよ。」 「リチャードの野郎、コーヒーもまともに入れられないくせに。」 野次馬がささやかな罵声を浴びせる中、着々と朝食の準備が整いつつあった。 経緯はこうだ。 ブレイズが日課のランニングをしている時、モリスの部下二人とすれ違った。その時モリスの怪我を知ったブレイズはランニングを途中で切り上げ、以前話に聞いていた料理経験者を訪ねて回った。日頃お世話になっている炊飯長のためならば、と快く引き受けてくれた三人を引き連れ、厨房に馳せ参じたのだという。驚いたのはモリスだ。それぞれがそれぞれの得意料理―と思われる―に専念しているため手際がよい。横からあれこれと口を出しながら何とかカタチになれば御の字だと思っていたのだが。 「炊飯長、ちょっとどいててください。」 「炊飯長はどっしりと構えててくださいよ。」 完全に置いてけぼり状態である。 そんな中、一際周囲の視線を集めるのはブレイズだった。何しろエプロンを着用したブレイズだ。しかも、白のフリルのついたエプロンだ。 「ぷっ!くくっ。最高だぜ、ブービー。」 カウンターから厨房を覗き見ていたチョッパーが吹き出る笑いを手で抑えていた。 「そんなに笑うと失礼よ? 炊飯長や私たちのことを思ってしてくれてるのに。」 隣りにはそう言いつつも声が上擦るナガセが立っていた。 「芸達者な奴だな、ブービーは。頼めば何だってやっちまいそうだぜ。」 「それにしても、どこからあんなエプロンを。」 ナガセが首を傾げていると。 「あたしが貸してあげたの。」 脇から事務員のキャシーが顔を出した。 「ハァイ、ケイにアル。昨日は大活躍だったわね。」 二人の背中を叩き、キャシーが労った。 「あら、似合ってるじゃない。サイズが小さいと思ったんだけど、良かったわ。」 ブレイズを見て微笑むキャシーに、ナガセとチョッパーは目を丸くした。 「キャシー、お前ブービーと仲良かったのか?」 「ブービー?ああ、彼のこと。そんなことないわ。基地内ですれ違って挨拶を交わす程度よ。世間話らしい会話も一度しかしたことないわ。エプロンだって、条件付きで貸してあげただけだし。」 「その条件、てのは?」 「あら?男の詮索は嫌われるわよ?」 「・・・」 上手くかわされたところで歓声が上がった。どうやら朝食が出来上がったようだ。 「諸君、配膳を開始する前に少しいいだろうか。」 エプロンブレイズが前に出てきて声をあげると、場が静まった。 「もう知っている者がほとんどだろうが、昨晩の空襲でモリス・デンバー炊飯長が腕を負傷した。結果、数日の間は料理をすることが無理だと診断された。そこで、今日から炊飯長が回復するまでの間、有志が集まり、臨時に厨房を任せてもらうこととなった。」 所々から拍手が漏れる。 「今回朝食を作らせてもらったメンバーから一つだけ。」 そう言ってブレイズは言葉を区切った。 「私たちのために毎日厨房に立つモリス・デンバー炊飯長に感謝を。そして、その命をかけて我々を・・・このサンド島を守り殉職した同朋たちに敬意を。」 ブレイズは言い終えると目を閉じ、静かに黙祷を始めた。 そして皆もそれに倣う。 十字をきる者、胸に手を当て祈る者、亡き同僚の遺品を握りしめる者など様々だった。 「簡潔だが、これをもって彼らの弔いとしたい。」 それぞれの祈りが終わったところでブレイズが再び声をあげた。 「それでは朝食だ。今朝のメニューは、ピザトースト、クラムチャウダー(レッド)、レタス、トマト、コーンのサラダとなっている。おかわりは早い者勝ちだ。」 皆が一斉に湧いた。早い者は既にトレーを持っていた。 「あと一つ。 女性職員から強い要望があってな。油っこくないスイーツ系のメニューを作ってみた。」 試しに作ったのか、ブレイズは一風変わったトーストをカウンターに置いた。 「待ってました。」 キャシーが声を上擦らせた。 「さっき言ってた条件ってコレ?」 ナガセが聞くとキャシーは満足げに頷いた。 「好みでハチミツかメイプルシロップをかけて食べる、ミルクトーストだ。柔らかさと密度のあるパンをミルクに浸し、フライパンで狐色に焼き上げたものだ。バターをひとかけらのせるのもアクセントがついていいぞ。」 たちまち辺りに甘い香りが漂い、何人かが生唾を飲み込んだ。 「コレは出来立ての暖かさがウリなので、注文を受けてから調理する。希望する者は申し出るように。」 途端に半数ほどが手を挙げたが、ブレイズがつけ加えた。 「なおこのメニューは数に限りがあるため、女性職員を優先させてもらう。」 ガッツポーズを取る女性陣とうなだれる男性陣。こうして、いつもより騒がしい朝食が始まった。 「君はなかなかどうして、人の心を掴むのが上手いようだな。」 冷めかけたピザトーストを胃に納め、ハミルトンはつぶやいた。 「自分は朝食の調理を手伝っただけです。」 ブレイズは休めの姿勢で答えた。 「責めてはいないよ。皆が満足しているならそれでいい。」 「恐縮です。」 「中佐も喜んでいたよ。肉が少ないとぼやいてはいたがね。」 「肉なら今夜にはお出しできるでしょう。」 言われて前回の定期便の内容を思いだしてみるが、売店に並ぶジャーキーしか浮かばない。もっともブレイズなら、そのジャーキーを使って肉料理を作りそうではあったが。 「養鶏場に被害がでたそうです。処分を免れなかった鶏は可能な限り食べれるようにしたい、と炊飯長が。」 「爆撃や銃撃でやられた鶏じゃないのか?衛生上の問題は?」 「いえ、建材の破片が当たっただけだそうです。 それに、劣化ウラン弾や毒ガスといった身体的後遺症が残る兵器の使用は十五年前の平和協定で禁止されています。」 「君は敵がその平和協定を遵守した上で戦争をしかけてきていると、そう思っているわけだ。」 「そういった判断は一兵士である私には出来かねます。」 上手い逃げ方をする。だが、 「一個人としてはどうかな?」 ハミルトンが知りたいのは建て前ではなく、本音だ。 「・・・・」 ブレイズは手に持っていた布巾を置き、一呼吸した。 「私が疑問に思っているのは、敵の目的が何なのか、ということだ。」 ブレイズの口調が変わった。 「宣戦布告以来、ユークトバニアとは連絡がつかず、それを尋ねることもできない。目的を伝えなければ、プロセスは評価されない。テロリストでも犯行声明ぐらい出す。」 「ユークトバニアが黙しているのがそんなに不思議か?」 「戦争という手段を行使するからには何らかの理由、或いは大義名分があって然るべきと考える。」 「大義名分?先に仕掛けてきたのはユークトバニアだ。非は向こうにある。」 「テロリストも同じことを言うだろうな。」 ブレイズは落ち着きはらって言った。 「そもそも物事に善悪や正誤などは本来存在しない。それらは、歴史の中で人によって後付けされたもの。更に言うなら、善悪や正誤は時代や国、思想や文化によって常に変化する。であるならば、ユークトバニアにも彼らなりの戦争をする正当な理由があるはずだ。」 「だが犯罪に手を染めることで得られるものを正しいとするのは・・・」 「そう、間違っている。だからこそ疑問に感じている。ユークトバニアはテロ集団ではなく、国家だからな。」 「・・・」 ハミルトンは唖然とした。 彼を初めて見た日、司令官を手玉に取った行動は度胸と詭弁から来るものと思っていた。しかしそうでは なかった。彼は考えている。しかも極めてクールに。 「それで、戦力の件だが。」 ブレイズが続けた。 「現状、チョッパー、エッジ、ブレイズの三機編成では不安があります。そこで、グリム一等クウシを編隊に組み入れたい。」 「本気か?」 「もちろんだ。」 「補習教育は?」 「済んでない。」 「規定飛行時間は?」 「規定値の三分の二だ。」 「司令官はどうする?」 「何とかしろ。」 ハミルトンは呆れはてた。 「無茶だ。」 「どうかな?」 「・・・・」 ハミルトンがブレイズを睨んだ。階級をうるさく言うつもりはないが、彼の物言いは進言というよりは、命令に近い口調だったからだ。 「仮に許可を申請したとして、通ると思ってるのか?」 「試してダメなら諦める。だが、試さずに諦めることはできない。」 「頑なだな。」 「当然だ。仲間の命を背負っている。」 ハミルトンは深く息を吐いた。 「・・・似たような台詞を前にも聞いたな。」 ブレイズの瞳が一瞬揺らいだのをハミルトンは見逃さなかった。 同時に、彼がここまで我を通そうとする理由が何となく分かった気がした。 「バートレットか? 「さぁな。」 とぼけるブレイズに親近感を覚えた。 鉄火面の下には以外とかわいいところがあるのかもしれない。 「いいだろう。 だが、編隊員全員とグリム自身の承諾が条件だ。そこは自分で何とかしろ。」 「もちろんだ。 感謝する。」 ブレイズは一言礼を言い、今やパンくずだけが残った皿をハミルトンの前から下げた。 「では、追って連絡する。」 ハミルトンは卓上に置いていた制帽をかぶると食堂から出て行った。 オフィスに戻ると、ハミルトンはどのように司令官を説得するか考えようとし、そして止めた。 代わりに、食堂からここまでの道中、胸の中で抑えていた感情、これをなんと呼ぶのか、ハミルトンはそれを少しだけ顔に出した。 「司令官を説得することなど容易い。 あの男に貸しを作っておくことの方が遥かに難しいと思っていたところに、とんだ儲け話だ。」 (こちら側に引き込むことも可能だろう) 叔父の言葉が蘇る。 そう、いつだって殺すことよりも生かすことの方が難しいのだ。 だが、それが成った時の見返りは大きい。 自分はきっと今、卑しい笑みを浮かべていることだろう。 そう思いつつ、ハミルトンは受話器を取った。