基地司令から発せられたのは、クルイーク要塞の救援指令だった。  どうやら要塞が陥落の危機にあるらしいのだが・・・・・・  どうも腑に落ちない。  敵の陸上部隊があの要塞にたどり着くには一本道をまっすぐ進軍してくる他ないのだが、一本道ゆえに一度に大量の兵員を送り込むことは出来ず、一本道ゆえに要塞手前で集中攻撃を浴びることは必至であり、それのみで攻略は出来ない。当然、航空部隊を伴っての進軍の筈である。  しかし、それに備えての対空火器は十分に配備されていて、なおかつ常駐の航空機部隊もある。  事実、ここ数日間、オーシア軍の攻撃を受けてはいるが全て撃退しており、損害もほとんど無いと聞いている。  それがいったい、どうしたことか。  戦略爆撃機でも持ってくれば別だろうが、制空権が確保された都市を爆撃するわけでもないのに飛ばすことは無理だろう。  相当数の護衛機が必要にもなるから、こちらでも事前に察知できる。何しろ鈍重な機体、たどり着く前に落とされるのがオチだ。  ほんの数呼吸の間、考えを巡らした。  司令は重ねて出撃を命じた。言葉は要請に近かったが、正規兵ではないとは云えユークトバニア軍に雇われの身だ、拒否できるものでもない。  すでに機体の準備は始めていると言う。要塞の状況は機中で確認したい旨を伝え、すぐに装備をまとめて愛機へと向かう。  ハンガーへ向かう整備兵の車に同乗し、再び思考を巡らせる。  ここ二ヶ月ほど、オーシア軍の攻勢は勢いを増している。  詳細は知らないが、ユークは大型の潜水艦二隻を失い、本土上陸を許し、捕虜も奪還されたという。ジラーチ砂漠の野戦基地も制圧された。  さらにクルイーク要塞に手を着けたことで、敵の目標が首都シーニグラードであることは明白だ。上陸した部隊が首都へ攻め込む場合、この要塞は避けて通れない。その意味で、この要塞は首都防衛の要の一つだ、簡単に抜けるはずもない。  だがよく考えてみれば、これまで撃破され、或いは突破されたものは全て、簡単にそうされるものではなかったはずだ。  何か、思考の隅に引っ掛かる。  愛機F-2Aはエンジンの暖気も完了し、対空兵装がなされていた。胴体下には増槽も装備され、ほぼ準備は整っていた。増槽は無くてもいい距離なのだが、よほど急がせたいのだろう。エンジン全開で飛行を続けると、燃費は極端に悪くなる。  コックピットに身を沈めて計器を一通り確認し終えると、滑走路へ機をタキシングさせる。  その間に、要塞の状況が入ってきた。  驚いたことに、攻めてきた敵軍の規模はこの数日間とほぼ変わらないのだという。  現地の情報が混乱しているのか、その詳細はよく分からない。ただ、航空部隊によってかなりの損害を受けていることは間違いないようだ。  愛機の対空兵装はそのためで、要は敵航空部隊を一掃しろということだ。  オーシアで強力な航空兵力と云えば・・・  滑走路から飛び立つと、更に二機を向かわせると基地から通信があった。  救援に向かうのにしては貧弱な気もするが、実のところ、この基地に大した兵力はない。  大規模な軍隊を持つユークでは、戦闘は基本的に正規兵によって行われる。そこに傭兵の出番は少ない。  もちろん、傭兵としての契約だから必要ならば戦闘にも駆り出されるが、これまではアグレッサー(仮想敵機)として訓練を行うことが多かった。  開戦してからは遊軍、つまりは予備兵力としての扱いで、哨戒任務程度でしか出ていない。  配置されたこの基地に立派な滑走路はあるものの、堅牢な要塞の後方にあって交代兵の待機や補給活動などが多く、直接戦闘に関わることは無かった。そんな基地にさほどの兵力があるはずもなかった。  全速で飛びながら、クルイークとの連絡を試みる。返答があった。間もなく救援が到着する旨を伝え、状況を聞いた。敵機は三機のF-14だと言う。  合点がいった。破れるはずのない壁をいくつも破った、それらに共通する符号。  間違いない、噂のラーズグリーズだ。  要塞が近くなってくると、悲鳴とも怒号ともつかぬ声がよりはっきりとレシーバーから聞こえてくる。  IFFの反応を見ると、敵機三機に対して味方機は二機のみ。ここには二個小隊八機が配備されているはずなのだが、レーダー上では確認できない。  要塞そのものを視認するより早く、黒煙が立ちのぼっているのが見えた。  増槽を切り離し、高空から背面で急降下した。  クルイーク要塞はあちこちから炎や黒煙を吹き出し、一目では生きている火器がどれほどあるのか怪しいほどだった。  敵の陸上部隊は既に要塞の半ばまで進入、展開しているが、味方部隊は統率の取れた行動が出来ていない。  滑走路上にも煙が見えた。発進滑走中にやられたのだろう、一機が潰れている。  喧しいレシーバーから何とか聞き取れたのは、五機が上がって六機目が撃たれて滑走路をふさいでしまったらしいことだけだ。  如何に短距離離陸が可能なJAS-39でも、これでは残り二機の発進は難しいだろう。  上がった五機も三機が落とされて、残っているのは二機。二番機と四番機らしい。しかし、そのうちの一機も煙を噴いた。四番機の方だ。  そして、その真後ろにはF-14独特の、大柄な機影もあった。  速度と高度は、今はこちらに分がある。敵は前方の機体に集中しているだろう。ここから必中の位置に着けるのは難しいが、そのために時間を使うのは愚策と思えた。  乱暴に、敵機の後方上空で機体を捻って深い角度から一気に引き起こす。命中は期待しないが、同時に機関砲弾をばらまく。  上方を取られた敵機は下方左右に機体を振ると思ったが、意外な早さで機首を上げていた。  こちらはまだ機体を引き起こしきっていないが、高さはある。さらに引き起こして敵機の後方に機首を向けた。  敵機は左へバンクし、可変翼を目一杯開いている。機首上げで速度を落とした上での旋回だ。  こちらは速度を優先していて、そこまで減速できない。そのまま緩やかに右上方へ機体を振った。  前方に死に体の機体を捉えながら、こちらの攻撃に気付くや回避に移れる。素早い、良い判断だ。  空では、敵を撃破することはもちろん大事なのだが、それ以上に『生き残る』ことが求められる。 地べたに足を着けているわけではないから、被弾すれば命を失う可能性は高い。この『生き残る』ことも簡単ではない。  ましてこの戦闘では、彼らが作戦の成否を握っている。  今、彼らの援護が無くなれば、この要塞に残された火器や戦闘車両とこちらの航空兵力で、オーシアの陸上部隊は十分に殲滅できる。  機関砲を浴びた四番機は、煙を噴きながらまっすぐ基地へ向かっている。敵機がそれを追う気配はない。  これも妥当だろう。被弾したJAS-39には、もはやオーシアの部隊を攻撃する力は無いのだ。それよりも、残っている戦力と新たに飛来した戦力に対抗する必要がある、おそらくそう判断しているはずだ。  残った二番機が、要塞の火器に攻撃しようとしている敵機に向かっていく。と、呼応するかのように別のF-14がその後に付いた。  回避しながら、それでも二番機は辛うじてロックしたのだろう、敵機にミサイルを放つが、角度が悪すぎる。あっけなく躱された。  F-14に狙われた火器は、その攻撃で沈黙した。  気付くと、もう一機が別の火器に向かっている。機体を加速させながら、敵の前方から射線に入るようにミサイルを放った。  敵機は攻撃を諦め、回避する。元々牽制で発射したのだから、こちらも簡単に避けられた。  回避する敵機の腹を一瞬見て、ぞっとする。あれだけの火器を破壊しながら、まだ対地装備が残っているのだ。  地上部隊により破壊されたものもあるのだろうが、よほど効率的な攻撃をしているのだろう。  そして同様に、汎用ミサイルも確認できた。機関砲も併せて使用しているが、五機の戦闘機を撃墜、又は戦闘不能にしておきながら、まだ攻撃手段を持っている。  汎用ミサイルは短射程ながら、対空・対地どちらにも使えるという代物だ。F-14に限らずこのF-2Aでもそうなのだが、対地爆装していても汎用ミサイルは搭載可能だ。しかし、その場合の搭載数は決して十分な数とは言えない。  想像以上に手強い・・・そう感じた。  F-14に追われた二番機は機動をしながら懸命に逃げているが、F-14は簡単にその機動に付いていく。  そのまま加速を続け、逃げるJAS-39と追うF-14の間に無理やり機体をねじり込むような機動を行う。  鼻先をかすめるようにしながら機体を翻す敵機。  突然、レシーバーからは火器要員のものらしい叫び声。見渡せば、火器がまた一基攻撃を受けている。  機体をブレイクさせてそちらに向かう。火器は何とか無事だったようだ。  が、再びレシーバーに破壊音が響く。別の施設がやられたようだ。  先程追われていた味方機は反転してこちらに向かっているが、間に合わなかったのだろう。  後部警戒アラームが鳴った。ブレイクして速度を失ったため、後ろに一機が付こうとしている。互いの進路に角度があったために簡単に振り切ることができた。  一機を追えば別の一機が施設への攻撃を行い、別の一機が追いかけ回す。なかなか出来ることではないのだが、まるで一人の人間が三機を操るようなコンビネーションは敵ながら実に見事だ。  悠長に構えている暇はない。素早くレーダーを確認し、敵機に肉薄するように機体を持っていく。しかし、長くは追わない。  あまり有効とは云えないが、とにかく今は敵機に仕事をさせないようにするしかないのだ。  残る二番機には、とりあえず施設に攻撃を加えそうなものだけを牽制するよう指示した。無理に追うな、とも。  敵機の練度は味方機と比べてかなり高く、その機動に付いていけないからだ。  ここで無理してこの一機まで失うと、要塞を守りきれる自信はない。  三機の敵機にかわるがわる肉薄し、追い、逃げる。  一機が対空装備であるのがわかった。この一機、他の二機と比べてもその機動がさらに鋭い。多分、隊長機だろう。  その隊長機に迫る度に、必ず食いついてくる機体がある。隙だらけのようで隙のない、独特の機動だ。  もう一機はそつのない、いわば教科書通りの機動をするが、無駄がない。  三機ともこれだけの機動が出来るなら、味方機は付いていけなかっただろうと思う。  スティックを前後左右に振り、スロットルを開閉し、フットバーを蹴り飛ばす。十分に整備された機体はそれに応え、激しい機動をこなしてくれる。  身体中の血が逆流するかのようだが、冷静さだけは失わないように努めた。  途中でミサイル一発を放ったが、施設を攻撃されないよう牽制するためだ。機動中に放ったミサイルなど当たるものではない。  ここまではどうにか、敵機にそのコンビネーションを発揮させないようにはできている。  しかし、こちらの二番機はどうしても反応がおくれがちで、ついに隙をつかれて敵隊長機に後ろへ廻られた。  放ってもおけずそちらへ向かうが、隊長機はJAS-39が要塞から離れていくように追っていく。  二番機には悪いが、そちらの追撃は諦めて要塞に向けて機を反転させた。このまま追っていって要塞から離れるわけにはいかない。  IFFに新たな反応がある。基地から飛び立った増援の二機がやっと到着したようだ。  増援機には二番機と同様に無理に敵機を追わないよう指示を出すと、再び要塞上空の敵機に向けて機体を踊らせた。  新たな敵の飛来に、敵隊長機は二番機を追うのを止めている。  増援が加わったことで、敵機への牽制はいくらか楽になった。要塞に残る火器は敵陸上部隊に集中するようになっている。  数的優位にある今、牽制だけでなく敵機を一つでも落としておきたいところだ。  が、敵もその目論見はとうに分かっているのか、火器類を積極的に狙うのではなく、こちらを攪乱させるような動きをしている。  何度か、敵機を引き付けておいて味方機にフォローさせようとしたが、それらは簡単に読まれて離脱された。  敵機に仕事はさせていないが、こちらも仕事ができない。膠着状態だ。  空戦だけというならこの敵機三機相手でも十分に渡り合えるのだが、ここではそうはいかない。敵機の撃墜にのみ腐心していれば、残り少ない要塞の火器を潰されてしまう。  状況を打破する有効な手が、打てない。  視界の隅に、敵機が増援の一機の目の前にフラフラッと飛び出したのが見えた。  咄嗟に追うなと怒鳴るように指示する。あれは誘いだ。  分かっている、そんな返答があったから、増援機のパイロットにも指示は聞こえたはずだが、膠着状態が続いて焦れていたのだろう。すでに目の前の敵機に反応して、追ってしまっている。  自機を振り回してそちらへ機首を振るが、遠い。  敵機は数回小刻みな機動をしたあと、一気にダイブした。その瞬間、追っていた増援機は四散した。敵隊長機がほぼ正対した状態で放ったミサイルで。  計算された位置取りであったのか、或いは偶然そうなったのかは分からないが、どちらであっても冷静な判断であることには違いない。  こんなときにあの妖精が居れば、というのは愚考だが、せめてもう少し味方機の練度が高ければという思いはどこかにあった。  味方機の練度のことは、本来なら言えたものではない。昨日までの要塞攻撃では、対空火器の助けがあったとはいえ、防衛任務を全うしているのだ。  言い換えれば、それだけラーズグリーズの連中の腕がたつ、ということなのだが。  自機のレーダーレンジ内に新たな機影を補足した。敵が攻めてきた南ゲート方向だ。味方の識別はない。  敵の増援機だと直感した。と同時に、アフターバーナーをふかして加速する。  いくらラーズグリーズでも、残された対地兵装で要塞を黙らせることはできない。増援が対地兵装しているのは明らかだ。ここでこれ以上、要塞上空に敵を入れてしまうのは、なんとしても避けたかった。  新たな機影は六つ。まっすぐに向かってくる。  後部警戒アラームが鳴るが、構わず増援部隊へと突き進む。  残る中距離ミサイルを全て発射し、そのまま先頭の機体に向かった。  増援のFA-18のうち一機はミサイルで、先頭の一機は正面から機関砲を浴びて落ちた。予想通り、対地ミサイル満載だ。  間髪を入れず機体を捻ると、すぐ脇をミサイルがかすめていく。  後方の敵機との距離を考えると、長射程の対空ミサイルだろう。ということは、先程のアラームは追いかけてきた敵隊長機によるものだ。  すぐ下方に反転して高度と引き替えにしながら、撃ち漏らした増援機に向けて再び加速する。  一度交差しただけだが、はっきりと分かる。増援機の練度は、高いレベルではない。追いつけばあと一機はなんとか落とせるだろう。せめて、格闘戦に持ち込めれば・・・  しかし、敵のF-14がそれを許さない。隊長機の後ろからはさらに一機、こちらに向かってくる。  その機体が前方上空から短射程の汎用ミサイルを撃ってくる。ほぼ同時に、隊長機がこちらの進路に機体をねじり込んでくる。  どちらか一方なら躱して増援機を追い続けられたが、できない。高度もない。  右上方へ機体を振るが、敵機もそれに合わせるように進路を変えた。こちらは上方旋回したために速度が足りない。幾度か機動を行い、なんとか要塞へ向かおうとするのだが、その度に二機のどちらかが後方・射撃位置に着こうとする。なかなか振り切れない。  それでも、機動しながら少しずつ高度を稼ぎ出し、機関砲弾をばらまきながら敵機を牽制して突破する。再び高度を犠牲にして、要塞に向けて加速する。  要塞から上がる黒々とした煙は、さらに濃くなっていた。  IFFをチェックすると、四機いたはずの敵増援機は三機になっているが、味方の陸上部隊もほとんど確認できない。  しかし、北ゲート周辺の火器はまだ激しい抵抗をしている。ゲート脇のタワーには指揮所があり、設置してある火器も多い。それらを狙って、敵増援機が攻撃をしているところだった。  考えている暇はない。増援機の一機の後ろをとって、そのまま射撃。慌てた敵機が機首を振るが、その判断は遅すぎだ。蜂の巣になった機体が吹き飛んだ。と同時に、後部警戒アラーム。要塞上空にいたラーズグリーズの一機のようだ。  限界まで機体を機動させて辛うじて振り切ったが、そこまでだった。レシーバーから爆音が聞こえたかと思うと、そのまま静かになった。指揮所が被弾したのだ。  火器はいくつか残っていたが、クルイーク要塞は事実上、その機能を喪失した。  ただちに、残っていた味方機二機に帰還命令を出した。立場上、この二機に命令を出せるものかどうかは考え物だが、そうする以外になかった。  二機ともいくらか被弾しているようだが、なんとか基地にはたどり着けそうだ。敵機ももう追ってはこなかった。  滑走路に着陸して地上員に機体を預けると、他の二人と共にブリーフィングルームへ向かう。体も気も重いが、戦闘の報告をしなければならない。  ブリーフィングルームに入ると、基地司令らが集まり、今後について話し合われていた。心なしか、みな顔色が青ざめている。  基地では無線のやり取りをモニターしていたため、要塞陥落の報は先に首都へ届いているという。オーシア軍の攻勢に備えてここが前線基地となることは間違いなく、既に他の基地ではこの基地への部隊の移動準備が始まっているらしい。  パイロット三人には大した話もなく、戦闘の報告のみだ。その話によると、要塞上空に敵増援機が進入したとき、二機でなんとか一機を落としたものの、その後はラーズグリーズの一機に追われて思うように攻撃できなかったそうだ。  それを聞いていた司令に、敵はやはりラーズグリーズなのかと問われた。  おそらくはそうだろう、それしか返答しようが無い。  司令は、苦虫をかみつぶしたような顔をするだけだった。