ハーリング大統領の救出が無事に終了したその晩。空母ケストレルでは、ちょっとしたお祭りになっていた。 この状況下だというのに、皆に酒が振舞われている。しかし、これは大統領のアイデアだ。士気の向上を狙っているのか?それとも、救出してくれた皆に労いの気持ちなのだろうか? 「しかし、セレス海でお昼寝してた俺たちが、大統領直属になっちまったんだぜ?すげぇ事だと思わないか?」 「えぇ、故郷のお袋に自慢出来ますよ」 ケストレルの乗務員が、誇らしげに語らう。それもそうだろう。 あの悪夢の日以来、彼らの整備する機体は1機のみ、その上、上層部からの命令も無く、何も出来ずに、ここ、セレス海に浮かんでいるしかなかった。暇つぶしに甲板から釣り糸を垂らし、魚を釣る日々。 それが一転して、この戦争の元凶を知り、無意味な戦いに終止符を打つ使命を負ったものとして生まれ変わった訳なのだから。 「あー、諸君。静粛に。大統領からお話があるそうだ」 アンダーセン艦長が怒鳴るような大声ではなく、しかし騒いでいる皆に聞こえる声を放つ。このような喋り方が出来る人は、そうそう居ない。 「諸君。私の為に危険な作戦を実行してくれて、ありがとう。我々は2つの国で現在繰り広げている憎悪の輪廻を、その元凶を止めなければならない。たった3人増えたところで、何が出来るかと疑問に思う者も居るだろう。だがしかし!彼らはラーズグリーズの悪魔と恐れられた、かつてのウォードッグ中隊だ。なんとかなる。無理なお願いだとは承知の上だが、頼む。君たちの力を貸してくれ!」 大統領の言葉が途切れるか途切れないかの内に、室内に居た全ての者たちが雄たけびを上げた。 「そうだ!どうせなら、中隊名もラーズグリーズにしちまおうぜ!」 「じゃぁ、部隊マークも変えなきゃな。黒い悪魔にちなんで、機体も黒く塗っちまおう」 整備班の連中だ。拿捕した輸送船に満載された機体を見て、彼らは飛び上がらんばかりに喜んだという。だが、しかし、パイロットがいなければ、ただの鉄の塊。整備の甲斐が無かったのだが、彼らが来たお陰で、その甲斐が出来たと、整備班長は酒も手伝っていたのだろうが、おもちゃをもらった子供のように嬉しそうに語った。 「部隊マークは何にするんだよ?あ!我等が女神、ナガセちゃんの写真を、そこのカメラマンに撮ってもらって、それを貼り付けるってのはどうだ?ついでに俺たちの機体にも付けてくれ!」 シーゴブリンの一人が冗談ではなく、本気の顔で言う。それを聞いたナガセは慌てて、 「そ、そんなの困ります!嫌ですからね!ジュネット。絶対そんなの撮らないでよ」と顔を赤らめながら言う。 「やはり、こういうのは私の仕事とさせてくれよ。マークは出来てからのお楽しみだ」整備班長が、やはり子供のように、それも悪戯を考えている顔で、他の意見を退けた。 盛り上がる彼らをよそに、ひとつの後姿が、食堂を出て行く。シーゴブリンの連中が、ナガセと一緒の写真を撮ってくれと騒ぎ出したので、彼が出て行ったことに気づくものは居なかった。 一人、グリムは、海を見つめていた。ナガセ大尉も隊長も、なんであんなに楽しそうに出来るのか、理解に苦しむ。大切な仲間が。大切な先輩が居なくなってしまった、僕の心の隙間は、そう簡単に埋まるもんじゃない。そこに声を掛けてきた男がいた。 「どうした、グリム。一人でそんな所で。夜の海は、怖いんだぞ。死者が足を引っ張って引きずり込むって、昔から言ってな」 「スノー大尉。ずっとここにいらしてたんですか」 スノーはバーボンのビンをラッパ飲みしていた。その姿は少し寂しそうだった。 「スノー大尉は、夜の海は怖くないのですか?」 「ああ。怖くないな。というより、死んでしまった部下達が迎えに来てくれるのを待ってるんだ」 そう口走る彼は酒の所為なのか、普段の彼と違って、自暴自棄だった。そんな彼に言葉を掛けられるほどグリムは大人ではない。しばしの、それでいて永い沈黙。 「なぁ、お前たちの隊長は、どうだ?」 「え、うちの隊長ですか。いい隊長だとは思いますが…。今日の隊長は嫌いです。チョッパー大尉の事も忘れてしまったみたいで」 「じゃぁ、俺みたいになっていたほうがいいという事か?少なくとも、彼はまだ守るべき僚機がいる。お前が居るんだ。落ち込んいて、お前たちを引っ張っていけると思うか?落ち込んでいる隊長に、お前は付いていきたいと思うのか?無理しているに決まっているだろうが」 「あ、…」 「お前は、いい隊長にめぐり会えたよ。俺の部下たちも、俺ではなく、ブレイズの様な隊長の下につけていたら、今頃は…」 グリムは、そのとき、スノーの頬に一筋の光を見た。 (泣いている?あのスノー大尉が?) 何かを言わなくてはいけない。その思いだけで言葉を紡ぐ。 「あ、あの。僕は思うんです。大尉の部下も、大尉の事を信頼、尊敬していたと。だって、そうでなければ、自分の命を預けることはできませんよ」 「だが、しかし、俺は、その信頼を裏切った…」 「大尉と話していて気づきました。チョッパー大尉が居なくなったのは隊長の所為ではないと。あの大勢の敵機です。全滅していたかも知れない。だけど、隊長が居たから僕はここにいられる。大尉の場合だって、そうです。あんな、非常識な散弾ミサイルが打ち込まれるなんて、誰が予想できました?無線で上昇しろと、的確な指示を出していたじゃないですか!あの指示がなければ我々だって、あそこで…」 「グリム…」 「守るべき部下が居ないというのならば、僕があなたの部下になります。僕は中隊の4番機であり、あなたの2番機です!だから、だから!!」 もう声が震えて何も言えなかった。だが、言いたいことは言えた。そう、安心した瞬間、涙が零れ落ち、喉から嗚咽が漏れた。 「分かった、もういい。分かったから…。これからはお前を守る。その為に飛ぶことにする。だから、みんなの所に帰ろう」 スノーの慌てる声が耳に届く。だが、その声はなぜか心地よかった。 「了解!」 泣き顔のまま、精一杯の笑顔で応えるグリムを見て、スノーは心の中で部下に詫びた。 (すまん。皆の所にはまだ行けない。俺はこいつを守る!) その気持ちに応えたかのように、3つの光が空を駆けていく。 その頃食堂では、ナガセがブレイズに絡んでいた。酒が入りすぎている。彼女が彼を見る目は、乙女が恋人を見つめているかのようだ。 「ブレイズ、この胸ポケットに入ってるものは何?」 「あ、いや…その…」 隠そうとするブレイズの手を払って、そのものをポケットから抜き取り、しばし見つめる彼女。だが、その顔はみるみるうちに紅潮し、恋人を見つめていた目は、豹変した。 「これって!あの時皆で海に行って撮ったときの写真じゃないの!なんで私の水着が透け…」 そこで彼女は言葉を噤む。こんな事を大勢の前で、大声でいうものじゃない。そういう判断が働いたようだ。どうやら一気に酔いは醒めた様だ。 ブレイズがあたふたと言葉を繋ぐ。 「いや、あの。おやじさんの故郷では、大切な人の一部をお守りとしてもらう風習があるんだって。でも、君から直接もらうには、ちょっと恥ずかしくてね」 「お、おやじさん?なんて事を…」 勢いよく振り向かれて、目をにらまれたおやじさんは、すこし後ずさりしながら答えた。「いや、本当なんだよ。嘘じゃないよ。いや、信じてくれ。ナガセ君!」 「本当だろうが、嘘だろうが、どうでもいいです!なんでこんな事を!ブレイズになら、頼まれればあげたのに…」 「それでは私には、お守りがない事になってしまう……ハッ!」 「え、今なんて!?まさかおやじさんも!?」 彼女は黒豹の様にしなやかに動き、おやじさんの胸ポケットから、写真を抜き出す。 「なんて、なんて事…。まさかグリムも!」 その時、ドアが開きグリムがスノーと共に食堂へと戻ってきた。彼女がそれを見逃すはずがない。 「グーリームー!!」 名前を叫びながら、グリムに突進するナガセ。その鬼の形相を見てグリムはうろたえる。「どうしたんすか。なんか俺まずい事を…」 すばやく、胸ポケットに手を突っ込むが、目的のものが見つからない。 「どこ、どこに隠してるの!」 ズボンのポケットもまさぐる。 「う、うおぉぉぉ?あぁ」 グリムが、なぜか悶える。だが、そんなことは彼女には分からない。見えなくなっている。だが、見つからない。 「写真はどこにあるの!出しなさい!!」 その言葉を聞いて、グリムは、瞬時に状況を理解した。この様子では下手にはぐらかすと、もっと酷くなると判断し、内ポケットから素直に写真を抜き出し、彼女に渡す。 「す、すみません。僕もお守り欲しかったものですから…」 「まったく、なんて…」 そこで、満遍なく食堂に散らばっていた乗組員たちが、居なくなっているのに気づいた。あたりを見回すと、隅で黒山の人だかりが出来ていた。そこから聞こえる声。 「お、俺にも1枚!」 「私には2枚だ!」 黒山に向かって歩き出すナガセ。触ると切れそうなオーラを放ちながら。 そのオーラに気づいたのか、黒山が割れる。だがその中心にいる人物は、まだ気づかない。 「すみませ〜ん。私にも1枚いただけないかしら?」 その声に、一同が振り向く。が、その中にナガセは意外な人物を見つけ、愕然とした。 「あ、アンダーセン艦長!だ、大統領まで!?なんて、なんて愚かな人たちなの!!」 全ての写真を回収し、怒りが収まらないナガセ。だが写真を見るうちにふと気が付く。 「ね、ねぇ、ブレイズ。もしかしてチョッパーも?」 その言葉に無言でうなずくブレイズ。 それを見るか見ないかの内に食堂を飛び出す。その時、ナガセ大尉の周りにマッハコーンらしきものが見えたのは、幻か。 甲板へと飛び出した彼女は、空に向かって吠えた。 「チョッパーーーー!写真を渡しなさーーーーい!!!」 彼女の声に逃げるかのように、月が山の向こうに消えた。